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障害受容の核心


こんばんは。

お盆ももう、今日で締めくくりですね。
明日から保育園が再開し、
次男は、登園が始まります。

お盆休みが終わり、夏休みも終盤に
差し掛かってきたので
本格的に次男の就学先を旦那さんと話し合い、
吟味するリミットが迫ってきています。

今回の長男の不登校のこともあるので、
正直なところ、私自身が凄く慎重になっています。

というのも、やっぱり目では見えない障害が
複数混じりあっているのが「発達障害」であり、
頭の「中」は、親の私でもただの「推測」でしか
ないからです。


特性に対する価値観


長男が「発達障害」と診断されてから、約3年ーー。
約3年間、悩み揺らいできたことがあります。

それは、

発達障害は病気なのか?個性なのか?

という境界線のようなものの曖昧さ、です。

これはきっと、発達障害の診断を受けた本人も、
支援し続ける親も1番初めに
ぶつかる壁だったりします。


私は、そうでしたーーーー。



「特性は個性だ。」「隠れた才能の持ち主だ。」
「みんな持ち合わせているもの。」


色んな人の色んな価値観や考え方、
世の中の声や、身近な人の声など、
沢山の「声」を見たり聞いたりするたびに

自分の目に映るものや
体感しているものの違いに心が揺らいでは、
発達障害の参考本を読み漁りました。
どこにも自分が思う「落とし所」なんて
あるはずもないのにーー。

つい最近、避けて通ってきていた
ペアレントトレーニングにも参加し、
ようやく「私が思う落とし所」に
たどり着くことができました。

それは、私が親として接する上でも、
外野であろう外部の人たちと接する上でも、
心が「ほんのすこーし」楽になる所です。


そこは一体どこなのかーー?

それは
発達障害を病気だと受容する です。

世間一般的には発達障害は「病気」だと
一言も言っていません。

これはあくまでも私の発達障害への
受容の仕方と、いい塩梅な「落とし所」です。

これができた瞬間から、
私は心がとても軽くなりました。

それは、「発達障害は病気じゃないこと」に
少なからず違和感を覚えていたからーーー。


発達障害は個性だ!という言葉も
性格の1部だ!という言葉も、
なんだか腑に落ちなくて
受け入れられなかったから。

目に映る子供たちの毎日の困りごとの
光景や仕草は、

自分自身じゃどうしようもできないもの、
制御出来ないもの
」が確かに存在するのです。

決まったルーティンじゃないと
癇癪を起こす長男も、

体をひたすら動かしつづけて
心とのバランスを保っている次男も、

自分ではどうすることも
出来なくて困っている。

それを外部からも受け入れられないと、
単純にシンプルに辛いのです。



障害は治らない「持病」のようなもの

発達障害は病気と同じで、
決して治るものではありません。
薬を飲んだところで、
「対処療法」はできても、治癒はしないのです。

一生、「対処療法」と向き合いながら
肩を並べて生きていかなければいけないのです。

発達障害はいわゆる、
「持病」のようなものです。

周りの支援(介護)があり、
服薬療法があり、環境整備をすることで
持病をゆるやかにする事はできます。

そう捉えれるようになってから、
支援者側である私は見る視点が変わりました。

その持病は、見る角度を変えれば、
その人の個性であり、性格の特性でも
あるということだと、私は思います。

治らないものに過剰な負荷を
かける必要もなければ、
壊れてしまうまで」頑張る必要もありません。

病気であれば、甘えもへったくれもないのです。

その人の、「そのまま」を受け入れるために
必要な名前なのであれば「病気」でいいと思うのです。

どんな人も、病気だからといって
なんでも受け入れられるわけではありません。

ダメなことはダメだと叱り、
時には声を荒らげる時だっていいんです。


その人の障害に寄り添うことを忘れず、
その人の障害にあった声掛けとケアに
きちんとフォーカスする事が
どんなことよりも、大切なのだからーーー。


障害の寄り添いは介護と同じ


発達障害育児は、介護と同じです。

約9年間介護士として、
福祉の現場に携わってきた私は
声を大にして言います。

発達障害の人への支援は、介護と同じです。

認知症の人に寄り添う支援をすることと、
何ら変わりはないのです。

認知症状や身体症状に
見合った声掛けや誘導をする、
「その人」がわかるように伝える、
聴覚で伝える、視覚で伝えるーーー。

支援の仕方に何一つ違いはないのです。

その人にあった方法で、
その人がその人らしく生きるためには
支援が必要 なのです。

その、「その人らしく生きる支援」は、
病気の有無に限らず全人類の人々が
今この世界で1番必要とされているものでは
ないでしょうか?


障害がある、ないに関わらず、
お互いがお互いを尊重し、
支え合い、生きていけたのなら。


きっとこの世から「病気」という言葉は
必要なくなって、本当の「多様性を認め合う」
世界が生まれるのではないかと思います。





今日もここまで読んでいただき、
ありがとうございました。


それでは、また。


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