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22.2.14 noteは自分用のしおり。備忘録。【742日目/1000日】

3年連用日記を書いていた時も感じていたけれど、過去に自分が書いたものを読むのって大事なのだとこのnoteで自分の記録を取り出してから書くたびに感じている。記録は本当に大事。恥ずかしくなるような失敗の記録であってもそれをそのまま残しておくことに意味がある。だって、覚えているはずのものはその時々の感情や状況で簡単に書き換えられてしまうのだから。今の自分に都合の良いように解釈を勝手に変えてしまうから。それぐらい過去に向き合うのって結構ヒリヒリする。それでも記録しておくことには意味がある。都合よく書き換えてしまうのは過去も将来も歪めてしまうんだよなぁと、こんな小さな個人レベルでも感じている。それがもっと大きいところで平気な顔をして行われ、それを黙認する人がたくさんいる社会って本当に不誠実だよなぁ...。

と、ぼやいたところで。

去年の私が伝えてくれているのは「防災って喉元過ぎるとわすれがちやで」ってことだった。ちょうどこの週末に備蓄について子供と話したところだっったし去年のnoteに備忘録として貼っていたリンクを参考に再点検しなくては。備えあれば憂いなし、だもんな。

2021→2022→2023年の自分へ

2022年の自分へ
今日は姪っ子たちとかなりしっかり体を使って遊んで疲れたけれど、この疲労感は幸福感と笑顔に溢れています。喉も体の節々も痛いけれどそれでも笑顔が癒してくれるような感覚です。この子たちも私たちもこの笑顔と幸せをずっと持って過ごしていける事を今日もまた改めて願う、そんな日でした。2022年の私はどんな時に笑顔になったり、誰かを笑顔にあげられていますか?もしそんな事が出来ていたらそれが一番の幸せなのだと今の私は思っています。
2021年に返信と2023年の自分へ
去年のnoteのタイトル横の写真は雛人形でした。これってきっと去年の今日には雛飾りしたよ、という報告なのでしょう(既にうろ覚え)。今年2022年は今週中には何とか飾ろうと思い、防虫剤の手配もしたところです。これは2023年に申し伝えとかないとね。さて、2021年からの質問に答えておきます。2022年の私が笑顔になる時は大事な人たちが嬉しそうに笑ってくれている時です。笑顔は笑顔を連れてくるんですね。私が誰かを笑顔にしている時は....あるのかな。きっとヘマをした時がそれなのでしょうけど、笑顔を狙いに行くとうまく出来ていないように思います。私は誰かの笑顔につられて、して私の笑顔に誰かもつられているというのが実態のように思います。それでも大事な人たちが笑顔で溢れていることを、今年も心から願っています。そういう意味でも今年の私も大事な人に囲まれて笑顔でいられるのだからかなりな幸せ者だと思っています。こんな幸せがずっと続くことを祈って病みません。2023年の私へは、ちょっと趣向を変えて。ここ最近で大爆笑したことは何でしたか。