21.12.19 2021年編み納め【684日目/1000日】

やっと出来た。この週末は編み物一色。昨晩は久々に夜更かししてせっせと針を動かしていた。

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編み地のあみ模様の名前は「並木道」。レシピも糸にも一目惚れしたのだけど大満足。一目惚れってココロに一番素直ってことなのかもしれないな。

この糸は実はちょっとお高め。だから買う時に自分にちょっとした呪文をかけた。「年内に編み終えたら願いも祈りも叶う」と。何か縛りを作らないときっと(いつものように)編んでる途中で放り出してしまうことを防ぐためと、そして密かな願いも込めた呪文をかけたのだ。

だからこそ、いつも以上のこの達成感!我ながら安上がりで単純だなと笑えてしまうけれどこんな風ででも自分の機嫌が操作出来たなら結果オーライ。特に今回は、もろもろなことが積み重なって自己肯定感が粉々で今もその破片でココロはチクチク痛む状況だったのでいつも以上にココロに良く効いたかな。

今年もあと10日ちょっと。ここから年内はやらなきゃならないこと、やっておかないと困ることが山積みなので2021年編み物は今日で編み納め。今年もお世話になりました。2022年は何を編もうかな。どんな糸や模様に会えるかな。

ビュリダンのロバのもうひとつの向き

去年の私は「ビュリダンのロバ」について書いていた。この話を聞いた番組が何だったのかすら思い出せないし、この言葉自体もすっかり忘れていた。記憶力の衰えがちょっと笑えないレベルだな、あははは。

決定することの痛みと今の不都合はあるけれど現状維持のままで行くのか。選べないと餓死してしまうロバの話は分かりやすいけれどなかなか残酷。その話を聞いた去年の私はこうつぶやいていた。

小心者で「痛い」のが嫌いな私は選択するのが未だに苦手なままだ。こういう時にサクッと決断してその選択の結果を引き受けられる人は本当に清々しくてカッコイイ。私は未だにロバのままでこのまま一生そのままな気がするけれど、それでも失敗は認めて学べるロバでありたい。餓死するよりそちらを選べる自分でいよう。

今年の私はこのロバが進む、もう一つの向きがあるんじゃないかと思い始めている。それは笑顔で前向き風を装いながら、顔も前を向いたまま後ろ向きに進むこと。前は向いているし発する言葉も前向きだけど今後進む道は怖いから何も選択しない。でもその場所に居続けてしまうと飢えてしまうのでとりあえず今やってきたその道を後ろずさりで動く、そんなイメージだ。今の国の様子もそんな後退りにしか見えない。でも来た道に発展はない。行くも戻るも道がないならどうすべきなのか。こういう究極な場面で生き方というか哲学が必要になるんだろうなぁとぼんやりと思う。そんな私もきっと後退りしてるんだろうかな。

今朝の朝活書写

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