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黙っていようキャンペーン@自分

先日、姪っ子が「今日は喋らないと決めてん」と宣言して半日黙っていたらしい。このきっかけが何だったのか、本人が言わないので分からないままだ。黙ってみたら周りの人がどんな反応をするか知りたかったのかもしれないし、何か癪に触る事があったのかもしれない。深い意味は全くなくて自分チャレンジだったのかもしれない。むしろ、そんな諸々全部をひっくるめて「やってみよう」と思ったのかもしれない。その気持ち、よくわかるよ、おばちゃんも。

私の今回の「黙っていようキャンペーン@私」のキッカケは、ここ数年の私の悩み事ととして不動の座を保ってる「息子ゴト」があまりにもうまく運ばない。そんな中で、私の今までの子育てを全否定するような事が頻発していた。ただでも胃が痛い日々を送っていたのに、今までしてきた手を貸したり助言したり時には叱咤した事全てがダメだったのだと言外で伝えられるとさすがに辛い。ギリギリ保ってた足元がガラガラと崩れていく絵が浮かんでしまった。私が関わったからダメだったのだという流れは何をしても払拭出来ないのだと思い知ったし、そんな目で見られていたのかと思うと悲しさと虚脱感でいっぱいだ。私の20年って無駄だったのだと伝えられてつくづく嫌になってしまった。

何を話してもきっとムダなのだろうなと思い始めたら今まで見えていたものも全部そのムダ色に染まって見える。捨てなきゃいけないものは私の周りの細々したものじゃなくて私自身だ。そんな事を考え出したら何を話すのも嫌になってしまった。

物事は視点を変えたら全く違う物に見える。今までもそんな風に視点を変える練習をして来たし、それで救われても来た。でも今回は今のところ視点を変える気力がない。なので今私が自分のココロを守るためにできることは『距離を置くこと』。

アドラー心理学では、自分以外の問題は他人の問題なので介入してはいけないらしい。この境が親子になると曖昧になる。たぶんこの辺に問題があるのだと思うけれど、問題を本人任せにした途端に嘘や不誠実な事がてんこ盛りになると、これはこれでココロが保たない。

…子育て向いてないのかもしれないや。

とにかく今日は姪っ子のごとく、『黙ってようキャンペーン』をやってみよう。都合の良いことに仕事も山盛りだし、これはこれでありがたいのかれない。

さて

今日の1ポイ【77/100】ご用済みプリント

少し前に書いた気もするけど(笑)。要シュレッドな紙類をつい溜めてしまうけどこれで大事な書類も不明になる事件(!)が多発しているので用が無くなったらささっと処分することにした。これで少しはもの探しがラクになるかな。