小説「ハンニバル」“マーゴ” 編
映画「ハンニバル」には出て来ないのに、小説「ハンニバル」では登場する人物がいます。
それは大富豪メイスン・ヴァージャーの 妹 “ マーゴ ” です。話のテーマ的に関わるという意味では もうひとりのクラリスと言ってよいほどの重要なキャラポジです。
なぜなら小説「ハンニバル」は“クラリス”と “マーゴ”、この二人の女性の物語が実は対比・呼応しながら話が進むからです。
そんな彼の妹であるマーゴ・ヴァージャーはずっと兄メイスン・ヴァージャーの面倒を見てきているのですが…実はマーゴは幼い頃からずっと兄に犯され続け、性奴隷として扱われてきました(その事で昔、レクター博士のカウンセリングを受けていた)。
しかし弱い心ゆえ兄に対し反論できない内向的な性格 (弱い心とは裏腹に、体は筋トレのし過ぎでおかしな体つきになっているという筋肉乙女)、
“ マーゴはポケットからクルミを二個とりだした。二の腕の筋肉がグっと盛り上がったと見る間にクルミは砕けた。”
それゆえかマーゴはレズに走り(兄の精子を使い 付き合っている彼女に人工受精して子どもをもうける事が夢…)経済的にもメイスンに依存しきっておって、兄無しではもう生きていけない事を自らも知っている哀しい身(まぁメイスンがそういう風に飼育してきたわけで…)もう完全に兄に支配されて生きている ―― それが 妹 “ マーゴ ” です。
あまりにも “マーゴ” のキャラ設定がインパクト大で かすみがちですが、冷静に考えて一つ一つの設定を拾ってみると
このマーゴ、もう一人のクラリスというか………
ジョディ・フォスターそのものじゃね?と思えてくるのです。
ジョディ・フォスターは1991〜2001にかけて同性愛噂が持ち上がり、人工受精で子供をもうけたりと私生活を騒がせておりました。おまけにジョディ・フォスターの暴露本が兄によって出されたり……兄、兄、兄。
これってもうマーゴは、ジョディ・フォスターの実生活をグロテスクに具現化されたキャラじゃーん!と思えてくるのです。
原作者のトマス・ハリスは小説の中でジョディ・フォスターが演じたクラリスとジョディ・フォスター自身を「この俺が二人をカウンセリングして身も心も自由にさせてやるぜ!」と思ったとしか考えられないです。小説「ハンニバル」はそんな狂った設定なのですわ (というかジョディ・フォスター本人にとったら超余計なお世話だよ そりゃ映画ではカットされるわな)。
映画では巨大ブタに食われ最期を迎えるメイスンですが、小説では違います。
クライマックスで、メイスンに捕まり絶体絶命のハンニバルが、マーゴと久しぶりの再会を果たします。そしてハンニバル得意の囁き戦法(私のせいにしてメイスンを殺せばいい)をかまします。
“ メイスンは必ず君を裏切るぞ。彼の精液を搾り取るという宿題をとげるには彼を殺すしかない。もう二十年も前から君自身承知していたように。枕をかんでろ、大声を出すな と彼に言われた時から君はそう思っていたんじゃないのか?
精神治療の観点から言えば君自身が彼を殺した方がずっと効果的なんだがね。君が子供の時分から私がそれを勧めたことを忘れちゃいまい。
君は兄のメイスンよりずっと興味深く、有能な存在だ。”
マーゴは選択します。
飼っていた巨大ウナギを、メイスンの口にブチコミ(今まで散々させられてきたイラマチオ・オマージュです)窒息死させます。もちろん精子も奪取。恋人(♀)のもとへ向かうマーゴ。
結果的にレクター博士のカウンセリングによりマーゴは兄の支配から逃れ、生まれて初めて自由になる事ができたのです(レクター博士が昔から行ってきたマーゴへのセラピーが、いま終了したわけです)。
こうして小説「ハンニバル」の中でのマーゴの物語は終わります。
実はマーゴの物語を追って読んでいくと自ずとクラリスの物語の構図も見えてきます。なぜなら クラリスもまたレクター博士によってある支配から逃れ、初めて自由になるというマーゴの物語を踏襲しているからです。
問題は いったいクラリスは何の支配から自由になるのか?という事です。
ちなみにドラマ版「ハンニバル」ではなんと顔をグチャグチャにされる前のメイスン・ヴァージャーと妹 マーゴが登場。ちょっとマーゴ美人すぎる…。
私の中での “マーゴ” 像は映画「ザ・セル」にも出てたキム・チゼスキー・ニコールズなんだけどな。
“ ソファに座ったマーゴは両肘を膝について首うなだれていた。その姿は休憩中のハンマー投げの選手にも見えたし、トレーニング後にジムで休憩している重量挙げの選手にも見えた。 ”
ではまた “クラリス” 編 “で。
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