先生

先日A君と話していた時、
彼が32歳の時に初めて、
本当に子どもの為を考えている元教育者の施政者のスピーチを聞いた。
と言っていた。

彼は、『もっと若い時にこの人に会っていたら良かった』と思ったそうである。

何故なら、彼は就学時、そのような先生に会ったことが無かったから。
教育業界の実情に気付いてしまった賢い彼は、学ぶことに必要性を見いだせなくなったそうだ。

筆者は賢くないが、似たような経験がある。
(今までお世話になった先生方に対する批判ではない。)
例えば英語など、
外国に行くことになれば、その場で嫌がおうにも話さなきゃならないだろうから、
その時にやればいいや。
と思って勉強せず、現在困っている。

もう一つ、日本語であるが、
仏教を勉強し始めた時は、解らぬチベット語だけで生活していて日本語を使わなかったので(5年間くらい日本の文字さえ見なかった)、
今になって日本語のリハビリをしなければならなくなっている。
昔『いらん』と思って放っておいたツケが、今回ってきた。

言葉のことはさておき、何かを学ぼうとする時「先生」はとても重要である。
特に子どもは、先生次第でどの様にも変化する。

でも彼らは敏感で、先生の行動に隠された心持ちまで見抜いてしまう。

自分たちを愛して指導してくれているのか。
学ぶものごとが本当に興味深いことなのか。
役に立つことなのか。

口に出さないかもしれないけれど、おぼろげながらもキャッチしている子どもは多いだろう。

あるチベット人の女の子が、小学1~2年生の時に、寮の先生に手紙を書いた。

「先生は悲しそうです。」

チベット本土から父親と共にインドへ亡命してきた子どもで、親から離れて寮生活をしていた。本人も普段から我慢強い子だった。
20人ほどの子ども達の面倒を1人で見ている寮母さんを、彼女なりに心配していたのだろう。

その寮母さんは、しばらくしてその職を離れた。

子どもは斯様に、相手の様子を察知する。
先生が勉強が面白くて教えていれば、子どもも面白がるだろうし、
愛情をもって接していれば、子どもはそれを受け取って、社会生活の中でどう愛情を使うかを学ぶだろう。

ここで記しておかなければならないことは、
だからと言って先生側に全ての責任を押し付けてはいけないということである。

以前、小学校の担任だった先生にお会いした時、先生は言っていた。
「最近の先生は、生徒(の親)を怖がっている。」

良かれと思って生徒を叱っても、子どもが叱られたことを親に言って、親がクレームをつけに来るので、
先生自身が人間的にするべきだと思う指導であっても、思うようにできない実情があるそうだ。
YouTubeでも、先生方のメンタルケアが急務であるという動画を視たことがある。

教育が現代社会の制度や思惑に組み込まれてしまうと、
「教える」という自然な流れがねじ曲がってしまうのだろうか。

素人考えをいろいろ書いてしまった。
すみません。

本題に戻る。
筆者はインドに来て沢山の先生にあった。
殆どがチベット人のお坊さんである。

もともと他人に頭を下げるのが嫌いな性格なので、他人を敬うことも自然にできない。
筆者が頭を下げるのは、『本当にこの人には敵わない。』と思う時である。

「何が敵わないのか」といえば、それは立ち居振る舞いや、経済力や、知恵や、何だかんだとあるが、
最も頭が下がるのは、その人の生き方である。

長くお世話になっている先生はお年寄りが多いので、
1959年前後にインドに亡命されて来た方が多い。

普段は穏やかでニコニコとして、
外国人に「スマイリー」なんてあだ名を付けられている先生でも、
命に係わる危険の中を生き抜いてきたそうだ。
貧しくて苦しい生活の中で、結核に罹ったことがある先生方もいる。

大きな苦しみを経てきているのに、それをお首にも出さない強さには、
『敵わないな』と思う。

もう一つ感服したのは、
先生方が僧であることや、教義に沿った生活を営んでいく時に、
全く休みが無いということである。

自分が僧であることに真摯なお坊さんは、死ぬまで僧であることに休日はない。
出家者の戒律は、一生の間続くからだ。
更に、特別なタイトルを持って生まれた方々は、
他者からの希望や期待に常にさらされる。
辞めようと思っても辞められるものではない。

そんな状態にありながら、最大多数の最高最善の方向に向かっていく姿勢は、本当にスゴイと思う。

筆者は自由が好きなので、荷物は少なければ少ないほど良いと考えている人間である。
なので、勝負は始めからついている。

苦労してこられた先生方の懐は広い。
愛情深くて、自分の為だけに何かを利用することはしない。
自分に本当に役に立ったと思うので、生徒に勉強をさせようと勧める。

世代の違いから情報が違い、考え方まで全く同じようにすることはできないけれど、
人間の根本的な考え方や、志など、
先生方の生き方から垣間見ることができたことは、大きい。



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