行き来を考察する

『根本中論』の第二章は「行き来を考察する」という。

世間の人々の行動の中でも、主要な行為なので、
それに対して『まことに存在するのだ!』と思っている人々も多いし、
経典の中でも
「何処へ行く?」「何処から来た?」
等と多く説かれている。
釈尊がおっしゃったからには『まことに存在するに違いない』と考える善男善女が多いので、あえて考察のお題に持ってきた、という様子である。

でも正直に言って、
『根本中論』や他の解説書を読んで内容を理解しただけでは、
現代人の心に沁みついた『行く』『来る』に対する実体視を斥けるのは難しいと思う。

今までにも、
「だから、それに対する実体視を無くせっていうことですね?」
という言葉だけで終わってしまったことが多くある。
「解りました。」
という言葉で納得してしまうと、それ以上考えることは難しい。

テキスト通りの概要を述べれば、
『根本中論』の主な対論は仏教徒自部の部派仏教の見解であるので、
要するに、「行き来」について哲学者が構築した存在の理由を否定するものである。

哲学者がつけた理由を取りはらって、
次に、あえて付けられた理由とは関係なく、
自然に「行き来(そのもの)があるのだ」という心に映っている「行き来」が無いことに、気付かなければならない。
これが結構難しい。

筆者は移動が好きではない。
ダラムサラの自室は居心地が良いので、あまり動きたくないと思っている。
この場合、「別の場所に動くこと」が「行く」である。

長距離長期間の移動が多いので、荷物は重いし、大体が個人行動で移動中は気が抜けないし、もしトラブルがあっても誰かが助けてくれるとは思えないので、
「行く」にはストレスがついて回るイメージがある。

ストレスを無くす方法の一つとしては、移動の時には常に誰かと行動を共にして、楽しく旅行する、というのもあるけれど、
今まで筆者の行こうと思ったところへ、一緒に行きたがった人は殆どいなかった。

次の、出発前にストレスを感じない方法としては、
「行く」ことそのものが、自分が思い込んでいるように有るのではない、
と知ることである。

その方法として、
「行く」こと自体が何処にあるのか?
この考え方が『根本中論』の中で紹介されている。

論書の中で、難しいことは説かれていない。
かえって解説論書の方が、何に基体をおいて考えるのかや、前後の文面で解釈の違いを説いたりするので、微妙でややこしい。
解説書を理解することの方が、時間がかかる場合もある。

それはさておき、

例えばデリーのニザムディン駅から、二晩かけてカルナタカのフブリ駅まで行くとしよう。
チベット人の多い車両に寝台が取れればずいぶん楽なのだが、一人で早めに予約した時には殆どの場合、混みあったインド人の中に日本人一人である。
席に着いたは良いが、おじさんばっかりのところで荷物を見ながら、貴重品は肌身離さずトイレにまで持って行き、しかもトイレもあまり清潔ではない・・・
という状態を思い浮かべた時、
「行く」と一緒に出てくるイメージは重い。

じゃあ、「行く」こと自体は何処にあるのかというと、
ニザムディンを発車してから、過ぎた線路には無く
(もう過ぎちゃったから)、
過ぎていない、これから行く線路にも無く
(まだ行っていないから)、
走っている線路にも無い。

何故ならば、走行中の線路は過ぎた部分か過ぎていない部分しかなく、
その両方に「行く」ことそのものが無かった故と、

何処をもって現在進行形で走っているのかときけば、
先頭なのか車尾なのかで、
線路は過ぎた部分と、過ぎていない部分のどちらかに含まれるし、

今この瞬間、線路のどこか一点が「行く」場所だったとしても、
一瞬後には過ぎてしまい、
「ここ」と指差すことができなかったりする故である。

「行く」こと自体に「これぞ」と捉えることができないと、
それに付随して(イメージの中で)加算されるストレスは、拠所が無いので膨らみようがない。

じゃあ「行く」こと自体が無いのかといえば、
発車から到着までの時間の流れの中で、列車が一瞬一瞬場を変えていくことに「行く」
と名前を付ける(概念的に捉える)ことで、
「行く」が認められる。

「行く」そのものが、「まことに存在する」のではないのだよ。
ということである。

これを理屈だけでも理解していれば、
少なくともダラムサラの自室で、デリー・フブリ間の苦労に慄くことは無い。

逆に駅売りのインド飯に思いをはせて、
『楽しめるかもしれない』と自分を喜ばせることもできる。

明日、『根本中論』『ブッダパーリタ』『顕句論』『正理の海』
第二章「行き来を考察する」
公開予定です。


DECHEN
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