中観の流れ

中観とは、「中を観る」と漢訳されたものであるらしい。
チベット語では「中(dbu ma)」といい、まさに中央の意味である。
何の「中」なのかといえば、恒常実在の極辺と、断滅虚無の極辺から離れた中央で、
有の果てにも陥らず、無の果てにも陥らない「中」を示す。

この偏らない考え方が、釈尊の説かれた教えの神髄であると、主にサンスクリット法統で伝えられているが、
釈尊は対機説法で、相手によって言葉を変えて教えを説かれたので、経典を呼んだだけでは何が本当の釈尊のお考えなのかが分からない。

釈尊が亡くなられてから数百年後に龍樹(ナーガールジュナ/150頃~250頃)という方が現れて、『中論(根本中論)』を始めとする中観に関する六書等によって、中観の見解を明らかにされた。
代表作は『中論』である。
この論書は、当時仏教教団の中で主流になっていた毘婆沙部の見解に対する、問答形式の論書である。毘婆沙部は実在を肯定する学派であったので、彼らの挙げる実在の根拠をお題にして、「あなた方が言ってるように考えると、こういう矛盾がありますよ。」と手を変え品を変え、実在が理に適わないと示す。
敵も然るもの引っ掻く者で、諦めずに釈尊の教えから後ろ盾を引っ張り出してくる。
これらを全二十七章で丁寧に論破していく。
全二十七章のうち、問答形式でないのは第二十六章のみである。
第二十六章では生きものが輪廻に留まる次第に当たる十二縁起の順行と、原因が無くなればその結果も無くなっていくという解脱への道筋が短い言葉で説かれる。

龍樹の『中論』についての解説は数えきれないほどあるけれど、意味の解説として直弟子の聖提婆(アーリヤデーヴァ/生没年未詳2~3世紀)が『四百論』を著している。
二十五偈ずつの全十六章で、無常を恒常であると執する対処・苦しみを楽であると執する対処・不浄を清浄であると執する対処・無我を我であると執する対処から始まり、菩薩乗への入門から、誤った見解への対処まで、サンスクリット法統の見解を俯瞰的に理解できる内容になっている。

その後、仏護(ブッダパーリタ/470~540)という学匠が現れて、『中論』の言葉の解説『仏護註(ブッダパーリタ)』という自身の名で知られる解説論書を著した。
『中論』の各偈を丁寧にあげ、矛盾を突く問答の背景となる、対論者の主張や疑問とともに、その返答となる『中論』の言葉と意味の解説を述べる。
少々辛口である。

仏護の論書に対して、清弁(バーバイヴェーカ/500~570)という博学多識な学者が反論を唱えつつ、『中論』の解説書を著した。
中観派の中でも、自性や本質、定義を肯定する中観自立論証派に位置する。
清弁存命時には、おそらく中観自立論証派と中観帰謬論証派の見解の違いははっきりしていなかっただろう。
清弁が仏護のどこを批判したかといえば、「対論者の背理をしめす文章の論式が、文章構成の意味を反転させても正しい論式にならない」ということで、
「批判の仕方が間違ってる。正しい作法に則っていない。」と批判をしたのである。
批判は『般若灯論』に記されている。
論書を僅かに読んだだけでも、清弁は文章を書くことが大変好きな方であっただろうと想像できる。当時の非仏教徒の見解も、彼の論書で詳しく批判されている。

その後7世紀になり、月称(チャンドラキールティー/7世紀)という大学匠が現れた。
ナーレンダー僧院の僧院長も務められた方である。
『中論』についても、意味の解説として『入中論』とその自註、言葉の解説として『顕句論』を著された。
仏護に対する清弁の批判を弁護し、清弁の挙げる論難は仏護に、ひいては龍樹の示した中観の見解には当たらないと詳しく説明している。
「批判も論式の定義に当てはめなければならない(清弁・自立論証派)」と、
「正しい定義そのものが、そもそも成立しないので、正しい論式の定義も成立しない。批判は対論者の誤った考察方法の矛盾をついて、対論者の主張が崩れれば働きを為す(仏護&月称・帰謬論証派)」という主張の違いを明らかにして、
釈尊の教えを顕らかにした龍樹の論書の「中」の意味を、時に文学的な表現とともに記している。

以上の論書はインドの学匠の論書である。
チベット語への翻訳は旧訳と新訳がある。
これらの論書に基づいて、チベットの学匠達も解説を多く著された。
そのうちの一つに、ツォンカパ著『正理の海』という論書がある。

ツォンカパ(1357~1419)は、チベットに伝わる仏教で、ゲルク派の開祖と謳われる方である。
『正理の海』は『中論』についての解説であるが、『中論』全てを引用して一字一句解説することはしない。
それよりも、『中論』が著された当時の対論者の主張が如何なるものであったか、
それに対する矛盾の付き方、
清弁の仏護に対する批判の背景と批判の仕方、
月称の弁護の内容と論理的後ろ盾、
中観の教えを考察するにあたって必要な基礎知識、
等々を詳しく説明する。
更に特筆すべきところは、インド論書には、章名以外に内容を表す目次的表記が無いけれど、ツォンカパはその文章の著述内容を細かく目次として項目分けした。
「ツォンカパ大師がいなければ、私達は終わっていた」といわれる所以である。
ツォンカパには、『入中論』についての詳しい解説『密意解明』もある。

大まかにではあるが、著名な中観論書の流れについて記した。
「中の思想」を研究する一助になれば幸いである。

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