先人たち
『絵にかいた牝牛は、いつまでも乳を搾れて良いな。』
月称(チャンドラ・キールティ―/7世紀)師は僧院の裏にある壁に向かって、僧たちのチャイを作るための牛乳を搾りながら思った。
ナーランダ僧院長を務めてしばらく経つが、最近お布施だけでは僧たちのチャイに使う牛乳が足りない。
幸いにも修行で得た功徳で、自分は壁に書いたものを三次元で使える。絵にかいた牝牛からも乳を搾ることができるのだ。
大きめの壺がいっぱいになったので、今日のお茶には充分だろう。
月称師は牝牛に感謝しつつ壁に戻して、壺をもって厨房へ向かった。
何人かの僧が食事当番で働いていたので、牛乳を渡して自室に戻った。
机に向かって、書きかけの原稿を見た。
今は『顕かな言葉(顕句論)』という、『根本中論』の言葉の解説を書いている途中である。
第二の仏陀と呼ばれる聖賢龍樹(ナーガールジュナ/150頃~250頃)の代表作、『根本中論』の意味の解説は、『入中論』と共に自註も著して、結構な評判を得ている。
まぁ、文殊菩薩から五百回の転生の間も共にいて下さるという約束を得ているから、当前といえば当前だろう。
聖賢龍樹が伝えたかったことは、一応『入中論』の中で網羅しているので、今回は純粋に言葉の解説と、先人たちの見解の違いを述べれば良い。
詳しい説明が必要なところは、「詳しいことは『入中論』から知りたまえ。」と書けば良い。
『それにしても、』
と月称師はまた思う。
『この間は大人げないことをした。』
僅かながら後悔していることがある。
『月という姓を持つ者(チャンドラ・ゴーミン/7世紀)だった。彼は今でも、あの観音像を大切にしているのだろうな。』
先日僧院で、沢山のギャラリーの前で問答をした。
彼は僧ではなかったが、研鑽を多く積んできたのだろう。
学僧でも返答できない難問を投げかけると、その時は返答できないけれど、翌朝素晴らしい返答を用意してきた。
『何か怪しいとは思っていたが。でも、そこまでやるべきではなかったか・・・』
月称師は反省している。
あまりにも優れた答えが返ってくるので、誰かが入れ知恵しているのだろうと疑ったのである。
問答が終わって彼が自室に戻ってから、こっそり静かに覗きに行った。
ドアの陰から耳をすませていると、案の定、中でヒソヒソ話が聞こえる。
それにしても良いことを言っている。
誰が彼を指導しているのだろう?
顔を見たくなって、ドアの隅から中を覗いてみた。
彼の背中の向こうに、観音像が手ぶりをしながら教えを説いている!
「ご本尊!依怙贔屓しないで下さい!」
思わず飛び込んでいた。
『あの時は本当に、居てもたってもいられなくなってしまったのだ・・・』
驚いたのは彼だけではない。観音様も驚いて、動きかけたまま固まってしまった。
彼は今でも、あの観音像から教えを受けているのだろう。
もう動かないかもしれないが。
そしてまた、書きかけの原稿に目をやった。
『問答に熱くなりすぎるのも、良くはないな。』
ナーランダ僧院には学僧が多い。当然哲学的な論争も多くおこる。
今、特に注意を向けているのは、中観を説く者たちの二分化についてである。
聖賢龍樹とその直弟子(聖提婆/アーリャデーヴァ/2~3世紀)が説かれたことには皆が従うが、
今は「本性が有る」という側と、「本性が無い」という側に分かれている。
どちらも頭の良い者たちが主張しているので、凡人ではどちらにつけば良いのか分からないし、だいたい違いが分かっていない者も多い。
『自分自身は師匠のおかげで、ある程度の修行もできた。
聖賢が何をおっしゃっているのかも、経験的に解っている。
自分がいなくなった後の人々の為にも、はっきりと示しておかなければならない。』
月称師は思う。
一世代前に、この僧院はある問答で盛り上がっていたらしい。
仏護(ブッダパーリタ/470~540)師と清弁(バーバイヴェーカ/500~570)師の主張の違いである。
清弁は察するところ、王族の出だし、頭も良くて潔癖性だったから(彼の著述を見れば性格が大体わかる)、論戦を張るに長けていたのだろう。
多分、多聞によって構築した世界の構造を『こうあるべきだ』と捉える部分が多かっただろうし、問答の仕方にも通暁している。主張も強い。考えたことを外に出すのが好きなタイプだから、著作も多く残している。
確かに、当時の世間にどんな哲学的な見解があったかを知るには、とても役に立っている。
『でもなぁ。』
月称師は仏護に少し同情している。
仏護師は、清弁師より年上であったが、主張の強い清弁師には特別反論をしていない。
月称師は仏護師を尊敬している。
清弁師がいう批判は、仏護師には当たらないと思っている。
『まあ天才タイプだよな。』
仏護師の挙げる理論は、時々ちょっとひねり過ぎていて、一般人が理解し難いところがある。自分でもちょっとついていけなかったので、自分なりに『根本中論』を解釈しなおして、易しい論理構造におきかえて説明した部分もある。
未来に誰かが注釈を見比べれば、仏護師と自分の論理構成の異なる部分が分かるだろう。
『でも、ここでは清弁師を論破しなければならない。』
月称師はまた思う。
清弁師の挙げる見解では、どうしても本性の枠がかかってしまう。
この枠を取り外さない限り、ものごとを『こうである』と思い込んでいる思考を取り除くことができない。
これを取り除かなければ、どんなに頑張って修行をしようとも、輪廻を抜け出すことはできないのだ。
仏になるにはもちろんである。
『自分がこうして記すことで、後世の役に立つだろうか。』
と、月称師は思いをはせる。
すると、何だか遠い未来に、北の方で、自分の著作を読み、思索し、理解した意味を修行する多くの人々がいる様な気がする。
そんな未来人の中にも、ツォンカパ(1357~1419)という者がいて、大変に努力して釈尊の教えの本当の意味を、解き明かそうとしている。
聖賢の言葉と、仏護の言葉と、清弁の言葉と、自分の言葉を読み比べて、解りやすい解説を書いてくれるような気がする。
問答が多いから、『正理の海』とでも書名をつけるだろう。
『自分は文学的にものを書くことが好きだし、経典も手元にあるから、自分で思うままに〈根本中論〉の解説を記そう。後は未来人たちが、いろいろ解説を付け足してくれるだろうから。』
月称師は想像を止めて、目の前の経典と論書を見た。
もうじき1杯のチャイが、厨房から届けられるだろう。
(史実に基づいてはいますが、フィクションです。)
DECHEN
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釈尊、龍樹達が説かれた「中の思想」を、チベットに伝わる仏教テキストから紹介するサイトです。
「ダウンロード(中観)」→『正理の海』を解り易く読む→『正理の海』[序論]がご覧いただけます。
中の思想を明らかにするテキストの代表作、『根本中論』を読む前置きにあたる[序論]。
9月30日に、『根本中論』『ブッダパーリタ』『顕句論』『正理の海』の四論書ともに、第1章前編公開予定です。
他にも、インド・ダラムサラで頑張っている仲間の紹介や、地震除け、
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