直子 デチェン

今日(2020年6月20日)フェイスブックで、Mind&Lifeというライブを視聴した。
ダライ・ラマ法王と科学者達の対話。
最後に「この対話が何らかのアイデアになれば良いと思う。特に南インドの(勉強している)人に。」とおしゃっているのを聞いて、基礎知識が必要なことだと感じた。
心についてである。

筆者はたまたま勉強する機会があったし、実際学んで最も役に立ったことの一つなのでシェアしようと思った。
でもこれは仏教の話として読まないでほしいと思う。
心は誰にでもあるもので、その説明の仕方は色々ある。その説明の一つとして受け取ってもらえれば嬉しいし、これを知ったからといって仏教徒になる必要はない。
ご自身にある善良さが映しだす最も自分にあう信仰をして、オプションとして仏教の授業で習う心についての知識を使って頂けたら嬉しい。

前置きが長くなったが、心についての授業は、僧院内では比較的低学年で習う。
この科目は論理学の一部から派生したもので、現在チベット僧院内で一般に勉強されているものは、『量評釈』法称/ダルマキールティ(650年頃)著の全四章中、三章の内容を解り易くしたものである。
これは問答マニュアル的なテキストなので、当時の仏教徒だけでなく、他の宗教の問答者たちも読んだと言われている。

余談だが、当時(古代インド)は問答の道場破りがあったらしい。
僧院の外から異教の賢者がやってきて、問答を仕掛ける。問答に負けると、僧院全体が異教に改宗しなければならない。外門には問答担当の僧がついて、その場でデイフェンスしなければならなかったそうだ。
実際、人生、それ以上に転生をかけて修行している人々にとっては、信仰を変えるなんて大問題である。なので、本当に真剣に哲学を学び、教義を保持していたのだろうと思う。

心理作用の更に細かい分類は、いくつかのテキストで書かれているが数は一定していない。有名どころでは『阿毘達磨集論』無着/アサンガ著で記された五十一心所が知られている。

ここからは筆者の私見で述べるので、詳しく知りたい方は、ご自身でお勉強なさることを最初にお勧めしておく。

心について。
「心」とは私達になじみのある言葉だけれど、ここでの意味は「知覚」である。
仏教ではここから修行をして仏陀になることが目標の一つなので、今現在の私たちの状態を知らなければならない。そこで世界の構成等についての話があり、その一部として知覚についての話がある。

先ず、無我。
無我には、①有と②無。
① 有には、⓵変化しない恒常、⓶変化する無常。
⓶無常には、⑴形有るもの、⑵形の無い知覚、⑶前二つのどちらでもないもの、
という三つがある。ややこしいと思う人は飛ばしてほしい。

ここで、⑵知覚である。
「明らかで知る」が知覚の定義である。
私達が見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、味わったり、肌で感じたり、心で思ったりする時に知覚している、「知るもの」である。
知覚は本来、例えれば透明な水のように明らかで、何にも染められていないニュートラルな認識主体である。

そこに外からの情報が入って、青色の様相を見たり、誰かの声音が聞こえたり、花の匂いを感じたり、塩味を感じたり、柔らかい触感を感じたりしている。
これら五感に関係している知覚は、頭で考えることなく感じられる。
概念作用(思考)を通さずに対象を認識する知覚である。

他に、意識の知覚がある。一般に「心」と呼ばれる。
これも本来は、ただ知るだけの、明らかでニュートラルな知覚だけれど、情報が与えられることで、様々な様相に変化する。
考えて変化する(概念作用・思考)知覚もあるし、考えないでいきなり知る(直感)知覚もある。

普段私たちが感じている心は、概念作用(思考)の方。
「好き」「嫌い」「嬉しい」「悲しい」「~をしよう」「感動する」等、全て概念作用である。果ては「私」と思っているのも概念作用。その理由は、そう「思っている」から。
普通の人の心は、生まれてから死ぬまで、更には生まれ変わる過程にある時まで、常に概念作用の状態に留まり続けると言われている。

「概念作用の知覚(思考)」と「概念作用でない知覚(直覚)」の分類は大事なので、できれば心にとめておいて頂けたら良いと思う。


別の分け方で心(知覚)を分類すると、心王(しんのう)、心所(しんじょ)という二つに分けられる。

「心王」とは心の王様の如く。一時的な原因(条件)によって変わっていく心理作用を、真ん中でニュートラルに見守っている、心の「見ている側」である。
心王自体はニュートラルなので、それだけで特定の様相になることはない。

「心所」とは、一時的な原因(条件)によって変わっていく心理作用である。
特定の様相を持っている。王様の周りでそれぞれ働く臣下である。
心の分類をするときには、主に心所の様相によって分類する。


〈まとめ〉
心(知覚)の分け方は幾つかあるが、そのうち二つ。
「概念作用(思考)」と「概念作用でないもの(直覚)」という分け方。
「ニュートラルに見ている側の心(心王)」と「一時的に起こって変化する心(心所)」という分け方。


これだけでも、自分の心に当てはめて感じてみると、心を穏やかにコントロールする手掛かりになる。

これが本当かどうか、興味のある人は自分の心で感じてみてね。

おまけ:今雹が降っている。2センチ以上の大物もある・・・!

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直子 デチェン
1999年初渡印。2003~2015年インド・ダラムサラ仏教論理大学聴講。現在も殆どヒマラヤの麓、ダラムサラで暮らす。 100円投げ銭サポート募集中!インド自炊で一食分・・・二食分?(^人^)ゞ