無常

「無常」とは、仏教とともに中国から伝わってきた言葉なのだろう。
チベット語で表記するとmi rtag paで、不常とでもいう言葉である。

常は恒常の意味で、不は「~ではない」という否定を示す。
なので、「恒常ではない」という意味になるが、それを「無常」と記している。

「変化しない恒常、ではない」無常は、仏教の教えの中で、形を変えながら使われる。

「ものごとは常に変化し続ける無常だから、心の拠所に値しないものである。信じていても裏切られるよ。苦しみの本質であるよ。」
から始まって、

「ものごとは常に変化し続ける無常だから、苦しみの本質としてあるのではないよ。」
まで。

同じ言葉でありながら、切り口を変えることで、受け取り方が違ってくる。

受け取る側の段階によって、教えとしての顔が違う。

①先ず初心者は、「諸行無常の鐘の声」から始まる。
私達はいつも幸せを求めているから、幸せを与えてくれるものが常に変わらず自分の傍にいて、幸せを供給していて欲しいと思っている。
そして、「自分を幸せにしてくれるものである」と頼るようになるけれど、「それは永遠に変わらず有るものではありませんよ。」という教えである。

更に、「ものごとは常に変化し続け、頼れるものではないから、苦しみの本性なのですよ。」と教えは続く。

この無常は、我々が自然に知ることのできる粗い無常から理解することができる。
例えば、人が生まれて死ぬこと。植物が生えて枯れること。壺が作られて壊れること。社会構造が生まれて、崩壊することである。

②少し上級になると、「刹那滅(せつなめつ)」というコンセプトが出てくる。
「刹那滅」は、「無常」の定義である。

「刹那」という言葉を、「刹那的」という言葉で知っておられる人も多かろう。最も短い時間の単位で、「瞬間」に近い。

「刹那滅」は、「瞬間毎に滅す(壊れる)」という意味である。

大きな変化が起こるには、小さな変化が積み重ねられてこそである。
その変化が大きくなって可視化した時に、人は初めて気づく。
でも1年の変化には1ヶ月毎の変化があって、それには1日毎の変化があって、それには時間、分、秒とだんだん細かくなり、最終的には一瞬も留まらず常に変化し続ける、というところまで行きつく。

生と滅が同じ主体の上にある。

音が、この微細な無常の例として挙げられる。
音は留まらずに消えて行くからだ。

「音は無常である」と仏教徒が非仏教徒に論証する論式がよく挙げられるけれど、非仏教徒が『普通の音が、消えずにずっと残っている』と思っているわけではないだろう。

非仏教徒にしてみれば「音」は「虚空」の功徳、あるいは性質であるので、「虚空」が恒常だから「音」も恒常だろう、と思って言っているのである。

音が留まらず滅していくということは、我々でも納得できそうなものだが、この微細な無常を直接悟るには、空性を直接悟らなければいけない、という話がある。

学説や理由付けで作られた実体視(『ものごとは真実としてあるのだ!』と思い込む心)が無くならなければ、一瞬一瞬変化していることが直接感じられないそうである。

我々が普段から、如何に思い込み(概念作用)の中で生きているかが分かる。

③更に上級者になると、無常である故に、ものごとには定まった本質が無いと考える。

「無常である故に苦しみである」と言っていたのが、
「苦しみは無常である故に、苦しみとしての定まった本質が無い」となる。

「無常が空性を悟る助けになる」と先人方が説かれているそうである。

時間の流れの中でそれぞれ違う経験をひとくくりにして「苦しみ」と捉えるけれど、実際のものごとは常に変化し続ける。
「苦しみ」と名付けられる拠所になっている経験が一瞬も留まらず、「苦しみそのもの」と捉えることができないから、私達が感じているように有るのではない、というのか、

「この苦しみ」とピンポイントで覚えているものが、実際は過ぎ去った過去のものごとなので、どの瞬間を探しても見つからない、ということなのか、

「苦しみ」を追体験している意識そのものが一瞬毎に変わっていくので、意識も意識として捉えられず、真実として有ると思っていた対象の「苦しみ」も捉えられなくなってしまうのか、

何だか良くは分からないが、とにかく変化することによって、「苦しみそのもの」が無いことが解るらしい。

これが、無常によって、ものごとが「苦しみそのものではない」と分かる使い方である。

一つのものごとが、受け取る側によって意味が違ってくる。
サワサワという木の葉の音で、無常を悟る人と、空性を悟る人がいるが如くである。



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