『聖宝積経』より

それから、五百人の禅定を得た比丘は、世尊のこの教えに入門せず、理解せず確信していないので、座より立って去った。

それから世尊が、それらの比丘が去って行った道へ、二人の変幻の比丘を幻出させた。

そしてその五百人の比丘は、その二人の比丘が歩み去った道へ向かい、しばらく行ってこう言った。
「生者達よ、何処へ行く。」
二人の変幻が言った。
「我々は、僧院の住処へ、禅定の楽に留まりに行くのだ。何故かと言えば、我々は世尊が教示された経法に入門せず、理解も確信もしない。怖くなり、全く恐ろしく、本当に酷く怖かった。我々は僧院の住処で、禅定の楽に留まろうと思う。」

そしてそれら五百人の比丘達がこう言った。
「生者達よ。我々も世尊が教示された法に入門せず、理解も確信もせずに恐れ、全く恐ろしく、本当に酷く怖かった。なので、我々も僧院の住処で、禅定の楽に触れ、留まろうと思う。」

変幻達が言った。
「生者達よ。それ故に我々は正しく行こう。論争せずにいよう。争わぬよう努めることは、比丘の法である。
生者達よ。『これは完全に涅槃を得た』とは何であろうか?
完全な涅槃へ至る法とは何であうか?この身体より、我か、有情か、命者か、生まれる者か、士夫か、プトガラか、儒士か、儒童か、何が完全な涅槃へ至るとなろうか?
何が尽きることによって、完全な涅槃となるのであろうか?」

彼ら(比丘達)が言った。
「貪欲が尽き、瞋恚が尽き、愚痴が尽きたことによって、完全な涅槃へ至る。」

二人の変幻が言った。
「生者達よ。貪欲と瞋恚と愚痴は有であるのか?何時それが尽きるのか?」

彼ら(比丘達)が言った。
「それらは内にも無く、外にも無い。双方ともに無いとも認められず、それらは全く考察されていないことよりも生じない。」

二人の変幻が言った。
「生者達よ。そう見るならば、我であると分別せず、妄分別なさるな。生者達よ。分別せず、妄分別しない時には、執着が起こらず、執着より離れるともならない。
執着無く、執着より離れることも無いそれを、『寂静』という。
生者達よ。持戒とは、輪廻せず、完全な涅槃へ至るのでもない。生者達よ。禅定や、智慧や、解脱や、解脱道の智慧を見ることも、輪廻せず、完全な涅槃へ至らない。
生者達よ。それらの法によって完全な涅槃へ至ると教示されるけれど、それらの法も、空であり、脱離であり、認識対象として無いのである。

生者達よ。このように、涅槃へ至る想(識別作用)を捨てたまえ。想についても、想であるとなさるな。想を、想によって完全に知ろうとなさるな。想を想によって完全に知る者のそれ(想)は、想について完全に縛られたのである。
生者達よ。君は想(識別作用)と受(感受作用)を滅尽する深い瞑想を禅定したまえ。
生者達よ。『比丘は、想と受を滅尽する深い瞑想に禅定することに勝る行いは無い。』と言う。」

この法の類を説いた時、それら五百人の比丘は(輪廻を)取ること無く、諸々の有漏より心が完全に解放された。
彼らは心が完全に解放されて、世尊の居られるその場所へ来て、世尊の御足に額を付けて礼拝し、一列に並んだ。

そして善現が、それらの比丘へこう言った。
「生者達よ。何処へ去った?何処から来た?」

それらが言った。「尊者善現よ。何処へも行くことは無く、何処からも来たのではない故に、世尊が法を示された。」

(善現が)言った。「生者達よ。あなたの教示者は何か。」
(彼らが)言った。「生じておらず、完全な涅槃へ至らぬものである。」

(善現が)言った。「あなたはどのように法を聴聞したのか?」
(彼らが)言った。「縛られる為でもなく、解脱する為でもない。」

(善現が)言った。「あなたを誰が教化したのか?」
(彼らが)言った。「身体無く、心の無い者がしたのである。」

(善現が)言った。「あなたは何に努めるのか?」
(彼らが)言った。「無明を捨て去る為でもなく、智を生じさせる為でもない。」

(善現が)言った。「あなたはどのように解放されたのか?」
(彼らが)言った。「加行の為でもなく、捨て去る為でもない。」

(善現が)言った。「あなたは誰の声聞(修行者)か?」
(彼らが)言った。「得ることなく、顕かに完全に成仏することの無い者の(声聞修行者)である。」

(善現が)言った。「あなたの梵行は何か?」
(彼らが)言った。「三界を動かぬものごとである。」

(善現が)言った。「生者達よ。どれだけの間で完全な涅槃へ至るのか?」
(彼らが)言った。「如来の変幻が完全な涅槃へ至る時にである。」

(善現が)言った。「あなたの為すべきことを行ったのか?」
(彼らが)言った。「我執と我所執を完全に知ることによって。」

(善現が)言った。「あなたの煩悩は尽きたのか?」
(彼らが)言った。「一切法は永久に尽きた故である。」

(善現が)言った。「あなたは魔を調伏したのか?」
(彼らが)言った。「蘊の魔を認識しない故である。」

(善現が)言った。「あなたは教示者を供養したか?」
(彼らが)言った。「身体によってもせず、言葉によってもせず、心によってもしていない。」

(善現が)言った。「あなたは福田の地を浄化したか?」
(彼らが)言った。「執することなく、集めることが無いことによって。」

(善現が)言った。「あなたは輪廻を超えたのか?」
(彼らが)言った。「断滅無く、恒常無き故である。」

(善現が)言った。「あなたは福田の地へ入ったのか?」
(彼らが)言った。「一切の執より全く解放された故である。」

(善現が)言った。「生者達よ。何処へ行くのか?」
(彼らが)言った。「如来の変幻が行かれた所へ。」

そのように、善現が尽く問い、その比丘たちが返答をして、その周囲の八百人の比丘は、(輪廻を)取ること無く、諸々の有漏より心が全く解放された。
三万二千の生き物は、諸法について、無塵で汚れの無い法の眼は尽く浄化された。

(偽りの本性を持つ如来の変幻の二人の比丘が、五百人の比丘の解脱の因をなした例である。)



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