続続³・心所

※心王・心所をご存知でない方は、宜しければ
2020年6月20・21日「心」「続・心」心の概要と大まかな分類、
22日「心所」五遍行・五別境について、
23日「続・心所」十一善について、
24日「続²・心所」六煩悩について、
25日「続³・心所」二十随煩悩について、をご覧下さい。

心所もここまでやってきた。
『大乗阿毘(だいじょうあび)達磨集論(だつましゅうろん)』無着(むじゃく)/アサンガ著で説かれている、五十一種の心所より、
5+5+11+6+20=47が終わり、残り四つ。今回は善とも不善とも定まっていない四の心所(四不定)を紹介する。

四不定
これらは全て概念作用(思考)である。
善・不善・無記(ニュートラル)は、
その心理作用を起こしたことによって幸せになる類⇒善
その心理作用を起こしたことによって不幸せになる類⇒不善
その心理作用を起こしたことによって幸・不幸どちらになるか確定していない類⇒無記(お経に記されていない)
となるが、それを基準にすると善・不善を知る為にお経を全部読まなければいけなくなる。
なので、普段説明されるときは
他者を幸せにする⇒巡り巡って自分も幸せになる⇒善
他者を不幸せにする⇒巡り巡って自分も不幸せになる⇒不善
他者を幸せにも不幸せにもしない⇒巡り巡って自分もどっちでもない⇒無記
とされる。

善を例にあげると、
自分を取り巻く世界にポジティブな働きかけをする=認識主体と認識対象両方に顕現したポジティブな影響力が与えられる⇒体験は一瞬一瞬過ぎて行くので、過ぎた体験は意識に潜在的なポジティブ影響を残す⇒後に状況が整うことによってポジティブ影響が力を得て、主体+客体として顕在化する⇒  幸せ
になると思っている。私見であるが。

①悔(け):後悔
以前為したものごとを悔やむ。
善いことをして悔やめば不善になり、悪いことをして悔やめば善になる。
どっちにもならないことは、悔やんでもどっちにもならない。
精神的に優れ、他者を良く助ける導師に多額の布施をして、それを後悔すれば不善。
他者を騙して生計を立てている導師のふりをしている人に多額の布施をして、それを後悔すれば善。
その場の勢いで酒を驕って、それを後悔すれば無記。

悪行を為しても、四力を具えた懺悔をすれば悪業が浄化されると、仏教徒は言う。
⑴拠所の力:信頼する心の拠所を目の前に観想する。その対象に懺悔する。
⑵批判する力:犯した罪悪を善くないものであると批判する。反省する。
⑶罪悪に背反する力:これから二度とこのようなことはしないと誓う。
⑷対策を行う力:罪業を浄化する為に真言を唱える等して修行する。(自分の心の穢れを浄化する気持ちで行う清掃作業等でも良いと思う。)
これらのうち、⑵⑶が最も大切だという。

②眠(みん):睡眠
眠る意識。
眠る前に善いことを考えて眠ればその眠りは善になる。不善・無記も同様。
夢みる意識とは別らしい。

③尋(じん):分別
特定の対象について考える粗い概念作用。
善良な意図をもって考えれば善、悪い意図をもって考えれば不善、どちらでもなければ無記。

尋と伺の違いについて、一つの説明では
尋:ある性質を持つものごとの、主体について考える。
伺:ある性質を持つものごとの、性質について考える。
といわれる。意識の性質としても粗密があり、色界第一禅定の本定には尋・伺の両方あるが、第二禅定へアップ準備段階の禅定に尋は無く、伺が残る。

④伺(し):分析
細特定の対象について細かく分析する概念作用。
善良な意図をもって考えれば善、悪い意図をもって考えれば不善、どちらでもなければ無記。


以上が五十一心所である。
ご自身の心を観察する時に、少しでもお役に立てれば幸いである。

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