自空・他空

長年の友人から、他空について興味があると聞いた。
しばらく聞いていなかった言葉なので、懐かしく感じた。
これから仏教を深く学ぶことからは離れるかもしれないので、忘れないうちに、知っていることだけを思い出しながら記す。

先ず、自空とは、空性の拠所になっている主体自体が欠如すること。
他空とは、空性の拠所になっている主体とは他のものが欠如することである。

ある主体において「それ自体が無い」というか、「それ以外のものが無い」の違いである。

注意点として、空性について説かれる時には、私達が普段経験している世俗世界をそのまま受け入れる観点から説かれているのではない。
『私達が知覚している対象の、究極のあり方は如何なるものか』と考える。
なので、認識している対象の現れに満足してそのまま受け入れるのでなく、対象の現れ自体がどのように映っているか、認識されているか、認識されているように有るのかどうか、と考察されることになる。

一般的に、といってもチベットに伝わる仏教哲学においてであるが、他空を説くのはジョナン派であるといわれている。
ジョナン派の修行者は、他の宗派の修行者・学僧達より少数なので、「他空」という言葉を使う時少し肩身が狭いのではないかという印象が、多数派の中にはある。
多数派は「自空」を唱えるからだ。
でもジョナン派には有名な密教本尊の修行法が伝わっており、彼らの他空の見解を基にして成就が得られるそうなので、「見解として誤っているわけではなく、視点の違いから、説明の言葉が違っているのではないか」というのが賢者の見解である。

さて、筆者がどこかで読んだテキスト(もうずっと昔のことなので、どのテキストだったか覚えていない)に記されていた「他空」は、「空性の拠所になっている主体は、その主体以外のものが欠如する」という他空であった。

空性は「性」という字が付くだけあって、ある主体の性質である。
性質は、性質を持つ主体が無ければ存在できないので、空性も、空性のみで存在することはできない。
なので、空性も縁起であり、独立自存の実在ではないので、空性である。
これを空性の空性という。

空とは「空っぽ」で、欠如する意味である。
「じゃあ何が無いの?」というところで、宗派や学説によって言うことが違ってくる。

「他空」であるが、「空性の拠所である主体の以外のものが無い」という意味なので、例えば「柱」が空性だと言う時には、
「柱には、柱以外の壺や絨毯が無い」ということになる。
こんなに簡単で良いのかと思うが、チベット語ではそう説明されていた。

「柱」は、柱そのものであり、柱以外の何ものでもない。

という意味らしい。

仏教哲学を説く他の宗派は、顕教においては自空を説く。
密教においては、修行の階梯で経験される意識状態を空で表現する場合があるので、「他空」を使って説明される場合もあるが、瞑想対象の空性は「自空」であることに変わりはない。

顕教の中でも、学説によって「何が無いの?」という空性の否定対象は違う。

「無我」は、仏教の学派全てが認める。
「無我」は、「人無我」と「法無我」に分かれる。
小乗の学派では「無我」=「人無我」OKで、「法無我(空性)」は認めない。

大乗の学派では「無我」を認めて、「人無我」と「法無我(空性)」の両方を認める。
大乗の学派とは、大きく分けると唯識派と中観派。
中観派を、空性の否定対象で更に分けると、中(ちゅう)観(がん)自立(じりゅう)論証派(ろんしょうは)と、中観帰謬(ちゅうがんきびゅう)論証派(ろんしょうは)に分かれる。

唯識派と、中観自立論証派と、中観帰謬論証派はそれぞれ空性を説くけれど、「何が無いのか?」は異なる。だんだん微妙になっていくのだが、中観帰謬論証派にしてみれば、自派は「自空」を説き、他派は「他空」を説いている、となる。

帰謬論証派においては、主体の現れ自体が「そのもの」として現れており、その「主体そのもの」が欠如するという意味で「自空」であるが、

自立論証派のいう空性は「害されることのない心に映った影響力によって設けられたのではなく、対象自体の特別な在り方の面から成立したことが欠如する」・・・

簡単に言うと、
「正しい知覚に依拠せず、対象だけの面から存在することが無い」
という意味である。

これの否定対象(正しい知覚に依拠せず、対象だけの面から存在すること)は、空性の主体そのものではなくて、主体の上に作り上げられた(主体ではない)否定対象なので、「他空」であると帰謬論証派は言うのである。

唯識の見解においても、否定対象が違うだけで、「他空」になる論法は同じである。

空性について興味を持つだけでも、大変に福徳を積んでいるといわれる。
そして実際、間違った思い込みの根っこを引きぬくのも、空性を知る知恵だろう。
空性に興味を持つ友人に、今日も随喜、随喜である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?