貪欲と欲す者を考察する

龍樹著『根本中論』第六章は、「貪欲と欲す者を考察する」である。

ここで、「貪欲」は煩悩の象徴として取り上げられる。

煩悩の根本は愚痴(無知・実体視)であるけれど、
愚痴の意味については仏教徒内でも意見が分かれるので、
パーリ・サンスクリット法統共通で輪廻に縛り付ける原因として認められている貪欲を、お題に挙げたのだろうか。

お題に挙がる流れは、こうである。

それまでに本性が否定されてきた五蘊(ごうん)や、六根六境(ろっこんろっきょう)を、対論者(毘婆沙部・びばしゃぶ)は実在すると言い張っている。
何故かといえば、釈尊は煩悩やその原因について説かれたではないか。
煩悩があるなら、煩悩を持つ者もいるし、
煩悩の原因になる蘊(心身の集積)や根(感覚器官)や境(対象)も有るのだ。

蘊が何故煩悩の原因になるのかといえば、
(ここでは貪欲の例に沿って示せば)
例えば、「わたし」と名付けられる拠所になっている心や身体の集積(蘊)が有ることによって、
「わたしの身体」を保つ為に何かに欲望(不老不死のサプリを手に入れたいとか)を起こすし、「わたしの心」が苦しみから逃れる為に、苦を排斥したいという欲望(苦手な人には会いたくないとか)を起こす。

根とは、感覚器官の意味である。
感覚器官が何故欲望の原因になるのかといえば、
味を感じる味覚があるからこそ、上手いものを食べたいという欲望が起こる。
眼・耳・鼻・身体・意識についても同様である。

境とは、対照の意味である。
対象が何故欲望の原因になるのかといえば、
色や形があるからこそ、美しい容色に対して、手に入れたいという欲望が起こる。
音声・香・味・触感・イメージ(意識の対象)についても同様である。

仏教の普遍的なテーマは、「煩悩を捨て去り解脱しよう!」だから、
もちろん釈尊もそれについて多く説かれている。
この教えがあるので、「説かれた内容は絶対に、真に、確実に有るのだ。」という対論者の主張に対して、批判を述べる。

仏教独自の見解として、
「『わたし』や『あなた』という者は、『そのもの』としての実体があるのではなく、
身体や心を認識したうえで、それに名付けられたものとして思考に現れる。」
と説明される。

普段の生活ではなかなか感じられないが、最も手軽な例を挙げれば、
「わたし」と思う時には、いつも「わたし」と思っている心が一緒にある。
心が無い時(爆睡している時など)に、「わたし」は感じられない。
朝起きて、我に返ってハッとするのである。

「わたし」と名付けられる拠所になっているものは、心であるとは限らない。
鏡の中に自分の顔を見て、「わたし」と思えば、鏡面の面影(形色)が「わたし」と名付けられる拠所である。

これは「わたし」に限らず、第三者にも当てはまる。

壁の向こうに誰かの声を聞いて、『誰かいる』と思えば、
壁の向こうの声が、「誰か」と名付けられる拠所である。

曲がり角で革ジャンの片腕だけ見えていて、『ロッカーがいる』と思えば、
見えている革ジャンの片腕が、「ロッカー」と名付けられる拠所である。

同様に、心理作用である欲望があれば、
欲望を拠所にして名付けられた、何者かがいる。
それは「わたし」かもしれないし、「あなた」かもしれないが、
心があるところ、それに名付けられた誰かがいるのである。

「わたし」を実在すると思っている人々は、
「わたし」も実在し、
「わたしの欲望」も、別の存在として実在すると思っている。

この実在を否定する為に、
「実在するなら、何ものにも頼ることなくそのものとして存在できるので、
欲望が無くとも欲す者が存在することができるし、
欲す者が無くとも欲望が存在できることになる。

でも、
欲す者は、欲望を拠所にして名付けられた者であるし、
欲す誰かと関わりなく存在する、『欲望だけ』という心理作用は無い。

ならば、欲望と欲す者も、実在するのではないよ。」
という論法が、最も分かり易い理屈である。

大まかな流れとして、
①欲す者が貪欲の以前に存在する場合
②貪欲が欲す者の以前に存在する場合
③欲す者と貪欲が一緒(同時)に存在する場合
に、それぞれ実在を否定するが、

貪欲と欲す者についての考察を応用して、
全てのものごとについて考えて、
全てのものごとは実在するのではないと、理解しなさいね。

と説かれているように思う。

『根本中論』『ブッダパーリタ』『顕句論』『正理の海』
第5章「界(元素)を考察する」
第6章「貪欲と欲す者を考察する」
明日12月16日公開予定です。


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