鳥葬・後日談

鳥葬・後日談

直子 デチェン

昨日先生に宿題を出された。
「鳥葬に関係のある言葉が『ドゥンカル(白い法螺貝)辞典』1295頁から載っているから、明日ゆっくり読みなさい。」
とのことであった。

『ドゥンカル辞典』は、ドゥンカル・リンポチェという方が編纂された、全2388頁にもなる大辞典である。奥付も含めると2393頁になる。
一般的に口語文語で使われるチベット語よりも、歴史上の人物やものごとの由来を詳しく記された辞典で、歴史に興味のある人には大変有用であると思う。
ただ、果てしなくチベット語で書かれているので、読むのに根気がいる。

先生の示された言葉は、チベット歴代国王の古墳についてであった。
(spur rgyal btsan po’I bang so)
「遺体を土に埋める」と聞いたので、勝手に中国の兵馬俑のように遺体が並んで縦に並べられているのかと想像していたが、それぞれの王様を祀る大きなお墓があるとのことである。ホカ地方のチョンギェ県に属するムラ山にあるそうだ。

長い間にいくさや騒乱で破壊されたり、風雨によって廃れてしまい、今いくつ残っているのかは調査が待たれると書かれている。
どの古墳にどの王様が眠っておられるのかははっきりしないが、ソンツェンガンポ王、ティソンデツェン王、ティレルパチェン王の三王の墓が何れであるかは、概ね意見が一致するそうだ。

他に古墳の位置や構成、古墳の上に建てられたお寺(お寺が建つくらいなのだから、かなり大きいのだろう)伝えられる歴史についても書かれているが、いつまでたっても鳥葬が出てこない。

いつ出てくるのかと思いながら頁をめくり、やっと見つけた。

言葉はspur sbyongで、死体を浄化する・葬の意味である。
火葬・墓に埋葬・鳥葬・火葬して遺灰で小さな仏像を作り、仏塔に納める・ミイラと五種類が記されている。
先生はその他に、「遺体を川に流す」という方法もおっしゃっていた。
どうするかは、故人が生前に決めて家人に知らしめておく。
ティソンデツェン王は、亡くなる前にお墓を作っておいたそうだ。

三番目の鳥葬について。
鷲に与える。十二世紀初頭、パダンパ・サンギェが三回目にチベットへ来た時、息災のチュゥ(修行の名前)の法輪を広められ、死者の身体を、奉る客人である三宝へ供養として捧げる。功徳ある客人である守護尊へお礼として捧げる。慈悲の客人である六衆生へ布施として与える。業縁の客人である魔障へ借りとして手放す。という思いを持ち、直接鷲に与える。死者の身体を墓場へ運び鳥葬する者を、成就者や、最近では強者であると呼びならわす。
ダライ・ラマ八世の時代、グルカ族侵略軍がチベットから駆逐された時、メンチン?政府がその為に任命した大臣プカンエンが、チベット人が死者の身体を墓場へ運んで鳥葬する様子を目撃して、その慣習は下品な野蛮人の行いであると判断し、以後そのようなことは不可であると決定したが、大臣が中国へ帰った後、再びその慣習を復活させている。(『ドゥンカル辞典』より)

辞典とは面白いものだ。

生きるも死ぬも同列に見ている、お年寄りの先生は、死を怖がる人々をしょうがないなぁと見ているらしい。
上記の文中では、中国人の大臣が『しょうがないなぁ』と思われてしまった。

「お誕生日おめでとうございます。」
と先生に言っても、
「私達は毎日死んで朝生き返るようなものだから、毎日が誕生日だ。」
とおっしゃる。

生きていることは有難いけれど、良い部分だけを見ているわけではないらしい。
達観するとはそういうことか。

淡々と、人生を無駄にせずに、ちゃんと生きなさいと、
今日も先生は言う。

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直子 デチェン
1999年初渡印。2003~2015年インド・ダラムサラ仏教論理大学聴講。現在も殆どヒマラヤの麓、ダラムサラで暮らす。 100円投げ銭サポート募集中!インド自炊で一食分・・・二食分?(^人^)ゞ