元祖唯識派

今日は『菩提心釈』という、龍樹の著された論書の法話会があった。
ダライ・ラマ法王のオンライン法話会である。
昨日はミスしたが、今日は大家さんのテレビで拝聴させてもらった。

『菩提心釈』は、ある密教経典の一偈の解説であると言われている。
百十二偈あり、そんなに長くはない。

この中で、唯識派の主張と、唯識派の主張する「知覚の実在」の否定が出てくる。

唯識派とは、ただ、識(知覚)のみ、というだけあって、

外界としての現れも、
最も基礎になる知覚に潜在的に埋め込まれた種(薫習という)が芽を吹いて、認識主体と認識対象に分かれて現れただけなので、

外に見えるものも知覚の本質であり、
内の知覚も知覚の本質であり、

要するに全部、「ただ心の本質だ」という学派である。

なので、彼らの説く空性は、
「認識対象と認識主体は、別他の実在が欠如する」ということで、裏を返せば「認識対象と認識主体は、同一実在である」ということになる。

この実在を龍樹は否定していくのであるが、
今回の話題はそれについてではない。

一般に、唯識派の見解を明らかにした師は、無着(

アサンガ 310~390)であると言われる。
龍樹(150頃~250頃)より後の時代であるので、
龍樹存命時に唯識の見解があったかどうか、問答のお題になることがある。

実際、中観論書の代表作『根本中論』では、主な対論者を毘婆沙部(部派仏教の学派)においており、ただ心のみであるという唯識の見解を面と向かって否定していないので、唯識の見解を尽く否定する中観の論書は、後の月称(7世紀)の著された『入中論』などである。

唯識の見解を明らかにされた無着であるが、ご自身は中観派であったと言われる。
何故ならば、瞑想をして弥勒菩薩を成就して、弥勒菩薩に連れられて兜率天へ伺い、法を聴聞して人間界に持って帰られたからである。

兜率天に行くには空性を悟っておらねばならず、「唯識派の説く空性」では空性を悟ったことにはならないので、中観帰謬論証派の説く空性を悟っていなければならない。

中観帰謬論証派の説く空性を悟っているなら、中観帰謬論証派だということになる。

ならば、何故唯識の見解を説かれたのかといえば、
本性が無いとか、
本質が無いとか、
ものごとはただ名称が付けられただけとか言われると、
何もないみたいで怖くなり、
教えを受け入れられない弟子がいるので、
彼らの為に唯識の見解を説いたのだ、と言われる。

因みに、彼の弟の世親は、本当に唯識派であったそうである。

さて、無着の前に唯識派がいたのかというと、いたことになる。
龍樹の対論者に、唯識派がいるからである。

『菩提心釈』の第二十六偈から、
「ただ心のみに留まって、幸運な者達はそれさえも捨て去る。
識であると言う者(唯識論者)にとって、この様々なものは心として成立した。」
や、
「瑜伽行者達は・・・」
等々、唯識派を示す言葉が続々と出てくる。

考えてみれば、釈尊が第三法輪で『解深密教』を説かれた時点で、
唯識派がいたことになる。

「一切のものごとは本質が欠如している」という空性について行けない者がいて、
彼らの代わりに須菩提が代表して、釈尊に質問をしている。

「初転法輪ではものごとは有ると言ったのに、
第二法輪では自性(ものごと自らの本質)が無いと言いました。
どうして?」
という質問である。

それに対して、
ものごとは
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう・思考で考えられたもの)と、
依他起性(えたきしょう・他に依拠して起こったもの)と、
円成実性(えんじょうじっしょう・空性)
の三つに分けられる。

遍計所執性は、自らの定義は自性が無い。考えられただけのものだから。
依他起性は、生は自性が無い。他のものごとに依拠して生じるから。
円成実性は、勝義が自性は無い。聖なる(勝)意味(義)の空性だからだ、
といって、受け入れやすく説明をしてくれる。

が、遍計所執性(考えられただけものものごと)は実在しないけれど、
依他起性(変化するものごと)と円成実性(空性)は実在するという。

心は主な依他起性になるので、
全ての拠所になってる心は実在-本当に有るんだよ、
という教えである。

ここで須菩提も質問はしているけれど、須菩提自身は帰謬論証派であったろう。
「解空第一・須菩提」と言われる故である。

なので、釈尊のご存命当時にも唯識の見解保持者はいたのであろう。
彼らが元祖唯識派ということになるのだろうか。

知覚のものごとに対する働き方は、昔も今も変わらないだろう。
その説明の一つとして、唯識の見解も、紀元前からあったということか。



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