『聖金剛精髄経』より

「文殊よ。このように、例えば火きり杵と火きり臼に依拠して、人の手の努めに依拠して煙が起こり、火が現実に成される。その火も、火きり杵にも留まらず、火きり臼にも留まらず、人の手の努めにも留まらない。

文殊よ。その如く無より、蒙昧なプトガラ、士夫に、欲望と怒りと愚痴の完全なる苦痛も起こる。その完全な苦痛も、内にも留まらず、外にも留まらず、双方でもないものにも、もちろん留まらない。

文殊よ。しかしながら『愚痴』というのである。それが何故『愚痴』と言われるのかといえば、文殊よ。愚痴とは、一切法(現象)は全く解放されており-然れば、愚痴というのである。」

・・・中略・・・

「文殊よ。一切法(現象)は有情の地獄の門である。これは、陀羅尼の言葉である。」

(文殊が)申し上げた。
「世尊よ。如何にしてこれが陀羅尼の言葉なのでしょうか?」

(仏陀が)御言葉を給われた。
「文殊よ。地獄の有情達は、幼子である凡夫達が、有ではないものを誤った考えによって成立させ、自らの妄分別より起こった。」

(文殊が)申し上げた。
「世尊よ。地獄の有情達は、何処へよく集まるとなりましょうか?」

(仏陀が)御言葉を給われた。
「文殊よ。地獄の有情達は、虚空によく集まるとなろう。文殊よ。それをどう思う?地獄の有情は自らの妄分別より起こったのか?あるいは自性より起こったのか?」

(文殊が)申し上げた。
「世尊よ。幼子である凡夫達は、自らの分別のみによって地獄の有情と、畜生の生所と、閻魔の世間であると識別し、彼らはそうではないものに捏造をする為に、苦しみを感受し、三悪趣において苦しみを経験することになるのです。

世尊よ。私は地獄の有情を知らぬように、地獄の有情の苦しみも知りません。

世尊よ。このように、或る者は眠りに落ちて、夢で自らが地獄の有情へ落ちると想い、それによって彼は、多くの者が入った煮えたぎる鉄瓶へ自らを放り込むことすらも想う。それによってそこで、酷く耐えられない苦しみを感受し、留まることは難しく、不快な経験することになりましょう。それによってそこで、心意の苦痛を尽く経験することになる。その者はそこで恐れることになる。苦しむとなる。全く苦しむことになりましょう。

その者はそれから目が覚めて、(苦しみの中にいると)思い込んでいるので、『嗚呼、苦しい!嗚呼、苦しい!』と泣き叫び、悲鳴を上げることになるのです。

それからその者へ、友人や親近者や親族等が『何によって、このようにお前は苦しむことになったのだ?』と問い、その者は友人や親近者や親族等へ、このように『私は地獄の有情の苦しみを経験した。』と言う。彼は『私が地獄の有情の苦しみを経験したのに、君達は〈何によって、このように君は苦しむのか’と問うのか。〉と、彼らに慟哭し叱責するのです。

それからその者へ、それらの友人や親近者や親族達が、このように『おい君。恐れるな。恐れるな。君は眠っていたのだ。君はこの家から何処へも行ってはいない。』と言うのです。その者も『私は眠って、この正しくないことを全く思い込んでいたのだ。』と思い、それを承知し、再びその者は安心することになるのです。

世尊よ。斯くも、眠っていた者が有ではないものに捏造して、自分自身が夢の中で地獄へ落ちたと想う如く、世尊よ。真実ではない欲望によって全く縛られた幼子である全ての凡夫は、女人を様相として分別するのです。彼らは、女人について様相として分別し、自身をそれらと一緒に戯れ喜ぶと想う。

その幼子である凡夫はこう思うのです。『私は男だ。この人は女だ。この女人は私のものだ。』と思うようになり、それを望む欲望が全く絡み取った心によって、享受を追い求める心に入り込むことになるのです。

彼はその基底から、争いや口論や戦争を発生させ、悪虐な根を持つ相手に恨みが起こることになるのです。間違った思い込みを持つその者は、その誤った想いによって、死ぬ時になり自身を何千劫もの間、地獄の有情として苦しみの感受を経験すると想うのです。

世尊よ。斯くも、その者へ友人や親近者や親族等がこのように『おい。君よ。恐れるな。恐れるな。君は眠っていたのだ。君はこの家から何処へも行ってはいない。』と言う如く、世尊よ。仏陀世尊方も、四つの誤った考え方によって誤りとなった有情達へこのように法を示されました。

ここに女性も無い。男性も無い。有情も無い。命者も無い。養育者も無い。プトガラも無く、これらの一切の法(現象)は誤りである。これら一切の法(現象)は有ではない。これら一切の法(現象)は誤りが成立させた。これら一切の法(現象)は幻のよう。これら一切の法(現象)は夢のよう。これら一切の法(現象)は神変のよう。これら一切の法(現象)は水に映った月のよう。」

・・・中略・・・

「彼らは世尊の教法を聴聞して、一切の法(現象)は欲望と離れたものであると理解した。

一切法(現象)は怒りと離れ、愚痴と離れ、自性は無く、障りが無いと理解した。

彼らは心が虚空に留まるので、死ぬ時になり、死時を迎えたとたんに残余の蘊の無い涅槃の界へと涅槃を得て-世尊よ。そのように、私は地獄の有情を理解するのです。」


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