起壊を考察する

起壊を考察する

直子 デチェン

龍樹著『根本中論』第二十一章は、「起壊を考察する」である。

「起」とはものごとが生起することで、
「壊」とはものごとが壊れることである。

前章から、「時間が実在する」という主張を批判する為に、時間が実在する理由を否定しているが、
第二十章では、「時間は結果が起こる条件である」という理由を否定し、
本章ではそれに引き続き、「時間は結果が起こり、壊れる因である」という理由を否定する。

「時間は実在する。何故ならば、果が起こり、壊れる因である故である。
例えば、植物の芽は冬の時などによって壊れる(枯れる)し、春の時などによって生えるとなる故である。」

対論者の言うことも一理ある。

しかし、この理由の生起と壊が実在しないので、「時間も生起と壊の因として実在しない」というのが本章の著述内容になる。

否定の仕方は、「壊」と「生起」をそれぞれに主体として、
「壊」は「生起」が無ければあり得ない。
「壊」は「生起」が一緒でもあり得ない。
という論法を「生起」にも当てはめる。

「壊」と「生起」が実在するならば、一方のみで存在するか、一緒に存在するかのどちらかでなければならないので、その両方の可能性を否定して、実在を否定する。これが章の冒頭で出てくる。

その後、「壊」と「生起」の拠所になるものを否定したり、事物という主体の性質であるそれらを否定したり、「壊」と「生起」が同一か別かを考察して双方を否定したり、
更には考察を進めるうえで出てきた対論者の反論も否定し、
最終的には「生起」と「壊」の実在を否定したことを通じて、
生と死が連なる輪廻の実在を否定する。

「そのように三時においても、有の継続が正理でなければ、三時において無いもの、それが如何様に有の継続となろうか。」
(以上のように過去・現在・未来においても、輪廻の継続が理に適わなければ、過去・現在・未来に実在しないものが、どのように実在する輪廻となろうか。)

という意味になる。

大まかには「生と死(壊)は、意味として互いに相対して、相互に関係し合って存在しているので、単独でそのものとして存在できる実在ではない」
という道理で、実在を否定する。

本章では「起(’byung ba)」について考察するけれど、似た言葉に「生(skye ba)」というものがある。

第一章や、他の章でも、以前無いものが新しく生じることを「生じる」として詳細な考察が為されているけれど、
本章でも「起」を「生」に置き換えて考察されている部分が多くある。

何故ここで二つの言葉が出てくるのかと、少し考えた。
ここからは、仮定の話である。

「生」の場合、①「生じる」行為を表す場合と、
②有為の性相として、主体とは別の実在として存在する「生」という実在である場合(対論者の設定)がある。
本章で考察される「生」は、このうちの前者①であるように感じる。
「生じる」行為を「起こる」、あるいは「生起する」と言い換えて、行為としての「生」を否定しているのではないか、というのが筆者の考察である。

一方、②有為の性相である「生」の実在を否定するのは、第七章の「生住壊を考察する」ではないかと思う。

「壊(’dzig pa)」にも「滅(’gag pa)」という似た言葉があるが、本章での使われ方は、上記の「起」や「生」の使われ方に似ている。

「壊」は無常の定義、「刹那滅」がすぐに連想される言葉である。
時間的な継続の中で持続する主体が、一瞬一瞬壊れ、刹那毎に変化する概念を強調したい時に、「壊」が使われるような気がする。
しかしながら、現在形動詞の「壊れる」を使いながらも、過去形の意味「壊れた=失壊」を表す場合も多々ある。

一方で、一つの主体がその存在形態を止めて無くなる時に「滅」が使われることが多いように思う。

毘婆沙部が挙げる、有為の性相として現れる「生」「住」「滅」「壊」の四には、「滅」も「壊」も含まれる。
この場合、「滅」は上記の意味をなさせる実在物の「滅」を示し、
「壊」は過去形の「失壊」に通じる意味をなさせる、実在物としての「壊」に当たるのではないかと考えている。

いずれにせよ、同じ言葉が違う意味で使われている場合、文脈で判断することが大切であろうと思う。

・・・それにしても、まだまだ分からないことが沢山ある。

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直子 デチェン
1999年初渡印。2003~2015年インド・ダラムサラ仏教論理大学聴講。現在も殆どヒマラヤの麓、ダラムサラで暮らす。 100円投げ銭サポート募集中!インド自炊で一食分・・・二食分?(^人^)ゞ