集合を考察する

龍樹著『根本中論』第二十章は、「集合を考察する」である。

本章は、前章で時が本性として存在する(実在する)ことを否定した後に、
対論者が挙げる「時が実在する理由」を否定する章である。

時が実在する理由を「時は、ものごとが結果として起こる条件だからである」と提示して、
「結果が起こる条件であるので、時は実在する。」というのが、対論者の主張である。

条件というものは、それ一つで結果を起こすことはできず、それが主要な原因でもない。副次的な因とでも言おうか。

しかしながら、結果を引き起こすことを助けもするので、
「結果が生じることは、時に相互関係している」⇒
「時は、結果が生じる原因や条件の集合に含まれる」⇒
「原因や条件の集合から結果が生じることの実在を否定すれば、
総体である「原因や条件の集合」から生じることの実在が否定されたことによって、
その部分である「時」を条件として生じることの実在も否定される。

すると、「時は、結果が起こる条件であるので、実在する」という主張を覆すに至るというのが、本章の流れである。

全二十四偈で比較的長い章であるが、「時(Dus)」という言葉は、『根本中論』第二十章本文では全く出てこない。

「ならばどこから現れるのか?」といえば、『ブッダパーリタ(仏護著)』『顕句論(月称著)』等の註釈書から現れる。
サンスクリット語の註釈に書かれているので、ツォンカパの解説書でもそのように説明される。

それにしても、結果が原因から生じるということは、仏教徒にとって基本の基本、とても大切な概念であると感じる。
それ故に「確かに存在する」という実体視も強く生じるのかもしれない。

この「原因と条件の集合から結果が生じる」ことの実在を否定する為に、手を変え品を変え、視点を変えながら否定していく。

似たようでありながら微妙に視点を変えて、こうしてもああしても実在はあり得ないから、結局は非実在にしか行きようがないという、
道をどんどん塞いで実在の可能性を消していく論理構成であると感じる。

例えば、「原因と条件の集合から生じることを否定する」、「原因そのものから生じることを否定する」、「原因と条件の集合から生じることを否定する他の正理を示す」と基本的に三項目に分かれ、

その第一からは「結果の以前にある集合から生じることを否定する」、「結果と同一時の集合から生じることを否定する」、「結果の後の集合から生じることを否定する」の三項目に分かれ、

更に第一の項目から二項目に分かれ・・・
と、細分化されていく。

『根本中論』では章の最後まで、
「それ故に、集合が為したことは無い。集合でないものが為した果は無い。果が有るのでなければ、縁(条件)の集合が何処にあろうか。」
と、非実在を前面に出しているが、

『正理の海(ツォンカパ著)』では、
時と因果と縁の集合は、実在論者達が実在すると主張するようには無いので、それを否定するけれど、因(原因)と縁(条件)に依拠して起こる縁起が有ることは否定していない⇒

原因と条件に依拠してものごとが起こるのだと、
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