重い気持ちと軽い気持ち

重い気持ちと軽い気持ち

直子 デチェン

心・心所の分類を書いていて、はたしてこれだけで、今の日本人に役に立つのだろうかと思った。

心の分類方法は色々ある。
その方法は、その分類を世に知らしめた時の人々の状況に、多大に依拠していると思う。
『大乗阿毘(だいじょうあび)達磨集論(だつましゅうろん)』無着(むじゃく)/アサンガ著は、四世紀にインドで著された。
その時のインド人は、今の日本人のように、色々考えすぎる程ものを考えていただろうか?

現代でも一般のインドの人々は、フツーの日本人より考え込むことが少ないと思う。
日本人に比べて、いい意味でも悪い意味でも、比較的心に素直に生きているから。
理由はわざわざ挙げない。インドに来てみれば分かる。
更に四世紀のインド人はどうであったか。

アサンガは弥勒を本尊として修行をし、十二年かけて成就を得たと有名な方である。
やる気満々で山へ入ったのであるが、三年経ったところで成果が得られなかったので、修行をあきらめて山を下りようとした。その時ある人を見た。
大きな石を荒布でこすって、針を作ろうとしていた人である。
できると信じて石をこすり続ける人を見て、アサンガは『あきらめてはいけない。まだ努力が足りんのだ。』と再度修行に入るわけだが、当時はそのようなおめでたい人がいたのである。

森はもっと深かっただろう。
生きる為に身体を使って働くこと(肉体労働)も多かっただろう。裕福な人々も、五感の喜びを享受することが主で、頭の中でグルグルと考える人は少なかったのではないか。

今、筆者の心に起こった時に一番困るのは、重たい気持ち・感情である。
これを無くそうと試行錯誤してきた。
なので、現在の筆者にとっての心の分類は、主に「それが起こった時に重たい感覚かどうか」で判断し、重ければそれを手放すようにしている。
多分にスピリチュアルな話になってくる。

気持ちを「重い」「居心地が悪い」「硬い」「波動・周波数が低い」と表現することがある。その時に共通して感じられるのは、強い思い込みである。
これは善悪に関係しない。
善しとされることでも、思い込みが強ければ、それは重たいのである。
逆に、善・不善のどちらかと訊かれれば不善であるが、心が軽い状態もある。

ある人が、例えば敬虔な仏教徒で、深く教義に心酔し、教義に反することに余りにも反発するようであれば、気持ちは硬く、重くなっている。
その人は善なる心を持っているはずであるが、心は硬い。
そんな時、人々はその人に「少しゆっくりしたら?少しぐらいいい加減でもいいよ。」という。怠惰(不善)を推奨するのである。
そして実際、修行まっしぐらであった人が、いつか社会生活を営むことが難しくなったり、身体を壊して修行を断念せざるを得なくなることも、結構ある。

硬い善なる思い込みと、ゆるく軽やかな心と、どっちが良い?

また仏教の話になるが、いわゆる「初めての直接の悟り(空性の直覚)」の直前に、加行道という修行の道(修行する心の段階)がある。
「加行」とは準備の意味で、ガチの仏教徒にとってはスーパーアップグレードになる「空性の直覚」を得る前の準備段階であるが、それも四つに分かれる。
暖(だん)・頂(ちょう)・忍(にん)・世第一法(せだいいっぽう)というのだが、それぞれの段階で瞑想を通して悟らなければならないことがある。
大乗の見解に従って、
①暖:煩悩系ものごとは実在が無い。
②頂:清浄系ものごとは実在が無い。
③忍:世間的に実質の有るものごとは実在が無い。
④世第一法:世間的に仮定されたものごとは実在が無い。

①悪いものは実在が無い⇒②善いものは実在が無い⇒③実質のあるものは実在がない⇒④名前を付けただけのものは実在が無い。
と受け入れやすいものから、段々受け入れ難いものの上に「実在が無い」と知っていく。

ここで「実在が無い」とは、「そのものが無い」という意味である。
「他に全く依拠せずそのものとして存在する実体が、無い」という意味である。

要点は、善いも悪いも実在が無いと知らなければいけないということだ。
それを知ると、心が対象を握りしめることを止めるので、心が軽くなる。
それまでしっかり有ると思っていたものが無いと解った時、上昇していたエレベーターが急に止まった時のように、心が軽く浮いたような感じになる。
一方で、思い込みには常に「これが正しい!」という真実味を帯びたビジョンがある。
どうしても抜けられないような硬さと、重力のような、慣れてしまってあまり感じられない重さがある。

筆者は、軽い気持ちの時に幸せを感じる。
なので、気持ちを軽くする為に、重たい気持ちを手放すようになった。
それが善良だと教えられたものでも、重たければ手放す。

心が軽くなると、他者に意地悪をしようとする気持ちは起こらない。
自分が楽でいられるので、他者に働きかけをしようと思わない。
自然に悪行が減る気がする。
他者に悪いことをしなければ、自然に平和な環境に身を置くことになる。

善・不善を基にした心の分類も大事だが、心の重さで取捨選択することも大切だと思う。
皆が幸せになる為に。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます!幸せが訪れますように!
直子 デチェン
1999年初渡印。2003~2015年インド・ダラムサラ仏教論理大学聴講。現在も殆どヒマラヤの麓、ダラムサラで暮らす。 100円投げ銭サポート募集中!インド自炊で一食分・・・二食分?(^人^)ゞ