天降臨節

今日はチベット暦で9月22日。
天降臨節(降臨祭)といって、釈尊が天界から人界に降りて来られた記念日である。

では何故天界に行っていたのかというと、
亡くなられた産みのお母さまが天界に生まれ変わっておられ、
その母様に法を説きに天界へ出張しておられた。

天界なので、人界で侍従についていた阿難は同行することができず、
阿難とした約束
(「私のいない所では、口伝の教えをなさらないで下さい。」)
のせいで口から法を説くことができなかった釈尊は、
約束を守って仏頂(仏様の頭のてっぺんでポコッと出ている部分)から法を説かれた。
白傘蓋母(びゃくさんがいも)の教えである。

白傘蓋母は道中の危険から身を守って下さるということで、
旅行時に加持されたお守りを持つ人も多い。

釈尊が天から降臨されたありがたい日だということで、
ダライ・ラマ法王のオンライン法話では、空性と菩提心を実際に瞑想し、
菩提心を起こすということもなさっただろうと思う。

「思う」と書いたのは、今日は大家さんがお仕事でお部屋におらず、
筆者のスマホも電池が切れて何度も画面が真っ暗になり、
結局全てを視聴することができなかったからだ。

まあそれはそれで、なるべくしてなったと思っている。

沢山の人々がライブ視聴をしていたので、心からの随喜を送る。

西暦2020年の天降臨節の、インドの田舎の現実はどうかといえば、
最近は秋も深まり、涼しさと寒さの間くらいの気候である。
昨日はセーターを着ている大家さんを見て、そろそろ冬がやって来るかな、という気持ちになった。

近くの僧院で、ゲートキーパーをしているお坊さん達は、
数日前からバトミントンで時間を過ごしている。
じっと座っていては寒いのだろう。
門のある所は道に沿って建物が立ち並び、陽があたらない。

今日はセキュリティ―の立ち入り禁止リボンを高めに張って、(バトミントンの)ネットの代わりにしていた。
既成概念にとらわれない自由な発想を持つ人々である。

こういう融通性を「量評釈の知恵」と、南インドのお坊さんは言ったりするが、視点がちょっと違うのではないかと筆者は内心思っていた。

外出できない不自由はあるにせよ、いたって穏やかに日々を過ごしている様子を見て、つられて安心した日々を送らせてもらっている。

町の様子は、以前ほどの人込みは無いにしても、州外からの観光客が増えている様子だ。
開いている店も増えてきたし、車も3~4台連なって、交差点で待つようになった。

個人的には、寒さが近づいてきた実感として、
昨夜から少しずつ、室内マラソンが伸びていきそうな気配がある。

夜になると冷えてくるので、インド電気事情に影響され暖房器具をあまり使えない筆者は、
室内で足踏みして走ったり、跳ねたりする。
(夜なので外に出ようとは思わない。)
以前は友人からコピーしてもらった洋楽や、インドダンス歌謡曲をイヤホンで聞きながら一人で踊っていたが、音楽に飽きてしまったので、去年から走ることが多くなった。30分くらいやっていると、暖かくなってくる。

冬の超個人的風物詩が始まって、時の流れを感じている。

平穏に今生きていることに、感謝。



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