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手のひらの世界

こんにちは。久しぶりにつらつらと書いてみたくなることがあり更新をしてみます。
主に記事を書けなかった忙しい日々のことで、世間話というかほとんど独り言みたいなものです。
なので特にテーマとかもなく、見出しもつけないのでダラっとした記事になります。
ご興味ありましたらお暇な時間にでもぜひ。

今回特にお伝えしたい内容が、私がADHDと診断されて一年が経ったというものです。
気持ちの波や体調の不調など幾度とありましたが、ようやくその波も小さく落ち着き始めた中にいます。
診断された当初は、やっぱりという気持ちとショックな気持ちと両方が混ざっていて、ショックだったのは幼少期の大きなトラウマとADHDの症状がすごく強く結びついていたことでした。
本音を言えばこのNoteを始めたのも、ADHDという事実に付加価値をつけようとやっきになっていたことも大きかったです。

私はずっと、自分の価値を小さく見積もっておきながら、でもこのつらい現実を乗り越えた先には、きっと私が私でよかったと甘えるようなストーリーが待っているのだと思っていました。

それはどういうことかと言うと、具体的には、ADHDは日常を普通に過ごすには難しいことがたくさんあるけど、他人と違う生き方をすればその難しいことも好転する、そんな説明書きをよく見ていました。だから自分の特性を見つめ、得意なことを探していけばきっと道は開ける、と。

そんな思いもあって、一年間他の仕事をせずに制作をしました。

けれど結果は全く違うものでした。

まず私は不注意型のADHDなのですが、得意なことをしても不注意が和らぐわけもなく、好きな絵を描いていても道具は無くすし時には壊すし、絵を描いたら展示するにも事務作業が必要だったり資材の調達でお金の計算が必要だったり、日程や時間の感覚も大事な要素で、その一つ一つを全て自分でミスすれば結果が返ってくるのも自分にでした。

そう、つまり、好きなことをすれは欠点が和らぐのではなく、関わる人が減って迷惑をかけるプレッシャーが和らいだだけでした。
(もちろんそれだけでも大きな違いです。この場合は私自身が求める見返りを勘違いしていたのでした。)

そして何より、一年間引きこもって制作したことは、自分が思っていたよりもさらに大きい孤独感と向き合うことが要されました。
コピーを取り立ち寄ったコンビニの店員さんだけがその日の会話の相手だった、なんてことも少なくなく、これで家族が自分にいなかったら私は本当に孤独な中に立たされたのだと思うとゾッとすることもありました。
音もない、光もない、味のしない食事も当たり前で、絵を描くのに疲れた時、ただいまと帰ってくる家族にどれほど助けられたかわかりませんでした。

ではなぜ人と違う道を選んでも自身の特性が強く活かされ、時には人々が振り返らずにいられないほど眩しく光る存在になれる人がいるのか…

それは、自分ができない分野の荷物を他人に預けられる人です。つまりは家事や仕事のサポートなどを、家族や身近な人に委ねられる、もしくはそうせざるを得ない人や
そうしてでも自分の特性を長所に変えてモノにする覚悟を芯まで背負った人なのだと感じました。

たとえばそれは、与えられた環境だったり自身の体力だったりが少しでも変わるだけで流れも大きく異なっていきます。

私は人が当たり前にできることを克服しなければと長い時間を費やしてきて、自分の欠点を誰かに委ねるような甘えができませんでした。
できないことを、できないままでも楽しく生きられるということを知らずに過ごしてきたのです。
そのため必要以上に荷物を持とうとしすぎて、大切なものを沢山見落としてきました。
本当に大切なことは、何をしたいかと自分がわかることで、それは私からすれば紙と鉛筆を持つような、手のひらにおさまるほどの荷物でした。

これまでの職場もミスをすれば「どうしてこんな簡単なこともできないの!」と強く注意されることも珍しくありませんでした。
でも時代というか、今は世の中もとても流れが変わってきていて、できないことを克服するよりも、好きなことを頑張れたり楽しく取り組めることに魅力を感じている人が増えてきました。

退職したこの一年間、私が本当に自信をなくしていたのはADHDであることではなく、ADHD(+中度難聴)のせいにして人とうまくコミュニケーションが取れなかったことでした。

ストラテラを飲むことで忘れていたことを思い出しやすくなったり、頭がスッキリして家事の順位づけができたり、注意力を妨げやすかった感覚過敏も、以前より目立たなくなりました。
難聴は補聴器をようやくうまく生活で使いこなせるようになり、連絡事項や人とのやりとりの聞き流しを減らすことができ、そこからもミスが減ったことが精神的に大きく支えになりました。

もちろんそれが全ての不便さをカバーできるわけではなく、今でも忘れ物は毎日のようにするしミスもあるし、時にはやっぱり体がものすごく疲弊してうまく日常を過ごせずに落ち込むことも多いです。

でも一つ一つ生活の不便さを洗い出し対処法を考えていけば、必ず抜け出す糸口が見つかるのだとわかりました。

不注意の度合いや精神的なハンデがどれくらい日常に支障をきたすのかで話は変わってきますが、ADHDであることは少なくとも恥ずかしいことではなく、自分の居心地の良い空間づくりに必要な項目なんだという感じです。

ギフテッドのように大きな才能や、それにまつわる影などのコントラストのある人生論は私にはありませんが、今ADHDの症状に苦しんでいる人たちにとって、投薬や人とのコミュニケーションで症状が和らいでいくという事実を知ってほしいという気持ちもありました。
そして何よりも、苦しい気持ちは必ず誰かにうちあけてほしいと思います。たとえばかかりつけのクリニックの先生や、家族や、そして同じように不便さを感じている人たち、など。

ADHDに限らず、発達障害やHSPの症状がある人は、偏った分野でありながらも豊かな想像力を持ち合わせてることがあるように思います。それを自分や人のためになる使い方をするのが難しくて悩むことも多いと思うのですが…

これまで隠して人に合わせることで社会の変化に貢献してきた人たちも多かったと思います。
これからは、少しずつ何をしたいかが社会をより豊かにしていくように、私は思えるのです。

うーーーん……こうやって書いてみるとやっぱり難しいですね。
「そんなの言われなくてもわかってる!」
「何をしたいかなんて、分かってたら苦労しない!」と思うこともありますよね…。

みんな、わからないことだらけの中で生きていますよね。

私もこれで完結させようとせず、引き続き自分の気持ちに何か変化が起きた時に、また書き出してみようと思います。

最後になりますが、この一年間で私がふと、自分の症状に苦しくなって身動きが取れなくなっていたときに、よく見ていたYouTubeのチャンネルをご紹介したいと思います。

https://youtube.com/@masudatherapy?si=tLcTQV-5AAA-2Yh7

発達障害について、精神科医として当事者に寄り添った内容を積極的にあげている先生です。

全てがドンピシャで参考になる!というわけではなかったりするのですが…
通院で自分の向き合い方に不安になったときや
どう捉えたら症状をネガティブに考えずにいられるかなど
客観的に自分の考えを育てていくのに、益田さんのニュートラルで冷静な対応からとても勉強させてもらいました。


長くなりましたが、次回からははちまちまと制作のことなどもお話できたらと思います⭐︎







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