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親孝行をしなきゃ、という呪縛

なんで、私は心から母親を大事に思えないんだろう
そう思ってしまう自分に、心のどこかで自分を責め、罪悪感を感じ、こんな自分だから誰からも愛されないんだと思っていた。

そんな自分だけど、父親は一人娘の私のことを本当に大切に愛してくれた父だった。
父は今から20年前に亡くなり、今はもういないけど、父に愛された思いは心の中にあって、思い出すと暖かい温もりがホカホカと私を包んでくれる。
「お父さん大好き!!!!!」この言葉を声を大にして叫んでも心のどこにも一点の曇りはない

だけど「お母さん大好き!」・・・・・
この言葉を声にしようとすると、心の中がザワザワして
遠い昔に、置いてきてしまった、子どもの私がうずくまって、泣いてるような。昔の記憶と、今の自分と、親を大事に思えない罪悪感、とにかく色んなものが、うまくかみ合わなくてガタガタ、グラグラ、不安定で、怖くて、不安で、怒りや、悲しみが黒い塊になって襲ってくる。
「お母さん大好き!」という言葉をうまく吐き出すことができない

なんで「お母さん大好き」が心から言えないんだろう。
そんな自分に罪悪感を感じ、そんな自分が今子育てをしてて、今本当はとても苦しいこと。このままじゃ、息子のへ悪影響を及ぼしてしまうのではないかという不安。
この、心を襲ってくる黒い不安定な塊の原因は何だろう。。。

少しでも楽になりたくて
いままで、母にされて辛かったこと。
悲しかったこと。
嫌だったこと。
とにかく、思い出してみた。

母は、私をおなかに授かった時「男の子が欲しかった」と言っていた
男の子の名前ばかりを考えていたらしい
私を授かる前、親戚の男の子をとても可愛がってて
おとなしくて、賢いその子みたいな男の子が欲しかったと言っていた
小学校の時
私の日記を読んだことを、酔っぱらった勢いで話し始めた
その時の母は、私を馬鹿にするような、見下すような
そんな雰囲気をまとっていた
私が何かをして怒られたとき、家の外に出されたことがあった
何時間か外に出されて、ようやく家の中に入れてもらい、テーブルを見たら今まで、作ってくれたこともないような、きれいな盛り付けのお子様ランチが用意してあって、その前の私の椅子に、私のお人形が置いてあった
「このお子様ランチはお人形さんのだからねぇ」とお人形に話しかける母
お人形は実際には食べれないし、きっとこのお子様ランチは私が食べれるんだろうと思った瞬間、目の前でお子様ランチをゴミ箱に捨てられた
何をしたか、全く覚えてないけど
怒られる度、50cmの物差しでお尻を叩かれた
ただただ、怖かった
高校の進路先
勉強ができる方では無かった私。普通科の高校へ行くよりは商業科の高校へ行った方が卒業後の就職には有利だからと商業科を進める母。
だけど、私は商業科目に全く興味がなくて、本当は普通科の高校へ行きたかったが、その思いは聞き入れてもらえなかった。
学区内の商業科は2校あって、私の頭だと下のレベルの商業高校しか行けなかったけど、母は上のレベルの商業高校を受けさせたかったみたいで。
その理由が「上のレベルの高校には野球部があるから、もしかして甲子園にいけたらお母さん楽しそうじゃない」ということだった。
一回目の結婚
一回目の結婚相手は、母はあまり気に入っていなかった。それでも、結婚したが、色々あり、結局は離婚する事になった。
離婚が決まった時、母は言葉にはしなかったものの、全身から
「ほら、だからお母さんは初めから言ったじゃない、あの男はイマイチだって。お母さんの言うと通りにしないから、ザマミロ」
と離婚で疲れ、傷ついている私をみてそう思っていたと思う。勝ち誇ったような嬉しそうな顔が忘れなれない。
昔母が可愛がってた、おとなしくて賢い親戚の男の子が結婚をした。
その子の夫婦喧嘩を、たまたま目撃した母が
「可哀そうに、可哀そうに、○○が不憫で泣けてくる」と私に言ってきた。

他にも色々とあったと思う。
思い出して書き綴っていたら、涙がこみ上げてきた。
遠い昔に置いてきてしまった、かわいそうな自分が、真っ暗な過去の中で助けを待っているような気がする。

今は、2回目の結婚をし、息子を授かり幸せに過ごしている。
生まれ育った場所から離れ、母とはなかなか簡単に会えない距離になった。

最近、息子が中学に入学し、お祝いに遊びに来た母親と「高校受験まで、きっとあっという間だね」なんて話してた時、思い切ってもう一度母に聞いてみた。
「どうして私の受験の時、上のレベルの高校を受けさせたかったの?」と、そしたら母は
「あんたの行ってる学校が甲子園に行ったら、応援に行ったりできて、お母さん楽しそうじゃない」と当時と同じことを言った。
実際に通う娘の希望より「自分が楽しそう」という理由を優先させて考えることに母は何の疑問も抱いてない様子だった。

自分が親になって改めて思った。やっぱり、違う。

子どもの進路は、子どもの物で、その子が3年間過ごす場所だから、その子の意思と希望で決める。
親の楽しみは、子どもがその高校で楽しく過ごしている姿を見守ることなんだと。

親孝行を心から出来てない自分に罪悪感を感じていたけど、今まで母から言われてきた言葉や態度を思えば、母親を大切に思えないのは当たり前じゃないか。だって母は、娘の私の希望より、自分の希望を優先して私を育ててきたのだから。
高校受験に限らず、私の意思は、母の意思にすり替えられ、母の思うようにふるまう事が正しいこと、と育てられてきた。

私は
母に評価されることが正しいと育てられてきた。
遠い過去のどこかに「自分の意思」を隠したまま、大きくなってきてしまった
だから今の私には「自分の意思」がない
何をしててもそこに「自分の意思」がないんだから、何をしてても楽しいはずがない、

私は
「母の意思」を生きてきたから、苦しいんだ、辛いんだって

ぼんやりと辛かったことが、はっきりと辛いことになった。
遠い昔に置いてきてしまった「自分の意思」を取り戻さないと。
今はそのことに気付けただけで、ほんの少し楽になった気がする。

そして、ほんの少しだけど「親孝行をしなきゃ、という呪縛」から解き放たれた気がする。

だけど、
「自分の意思」をどうやって取り戻したらいいのか。早く取り戻したい。
なにも変わらないまま、今子育てを続けていることが怖い
私は息子の幸せを心から願ってあげられるだろうか。

解決はしていない。

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