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今日の思考 2024/10/1 「SNS時代の価値」

しばらく時間が経ったから書ける、ということがある。

今年の夏の甲子園、全国高校野球選手権の決勝は東東京の「関東第一」と京都の「京都国際」の対決だった。
この対戦カードが決まった時のネットニュースに、「新旧首都対決」という言葉が見出しに付いているものがあった。このワードはSNSのトレンドにも入っていたらしい。

頑張っている選手たちと、素直に盛り上がって応援している人たちに水を差したいわけではなかったので、当時このことを記事にはしなかったが、今日ふと思い出したので書き留めておく。

「新旧首都対決」という言葉のむずがゆさだ。

それぞれの高校がどういう学校か、とか、実は東京への遷都は行われていないのでは、みたいな込み入った事情を話したいのではない。

東京のことを「新」首都とも、京都のことを「旧」首都とも、普段意識してる人は誰もいないだろう、という話だ。

それを意識的に使い分けてる人がいたとすれば、明治以前から生きているご長寿の方だろうが、残念なことに現在の日本には明治以前に生まれた人はおられない。

令和のことを「新元号」と言うのも、渋沢栄一の顔が印刷された紙幣を「新一万円札」と言うのも、私たちの多くがそれより前に生まれていて、平成のことも福沢諭吉のことも覚えているからだ。

あるいは大航海時代に海へ出た航海者が、見つけたアメリカの地を「新大陸」と呼んだ際、便宜上これまで暮らしていたヨーロッパの地を「旧大陸」と呼んだだろうが、それから100年後に生まれた人がアメリカやヨーロッパのことをまだ「新大陸」「旧大陸」と呼ぶだろうか。
歴史を学べばその事実は知ることができるものの、日常で馴染みのある言葉ではなくなっているはずだ。

普段使い慣れた言葉でもないのに多くの人が真似して使いだす、または多くの人が使っているように聞こえる見出しを付けるのはなぜか。

それは、ちょっとかっこよくて、関心を惹くからに違いない。

確かに「新旧首都対決」は、上記の疑問を抱かなければ、何となく「伝統の一戦」的な盛り上がりを感じる。

阪神タイガース vs 読売ジャイアンツ。
ロサンゼルス・ドジャース vs サンフランシスコ・ジャイアンツ。
レアル・マドリード vs FCバルセロナ。
新首都・東京 vs 旧首都・京都。

こうしてみると、因縁のライバルみたいだ。
とは言え、実際は東京と京都の仲がそれほど悪いこともないし、何なら 京都 vs 滋賀 の方が長年の宿敵みたいに思えるのだが、それは一旦置いておこう。

現代は、短く分かりやすくキャッチーであることが重要とされている。
あらゆる物にあふれた資本主義社会において、利益を生み出すことが何より求められ、そのためには効率よく人目を引く必要があるのだ。
分かりにくいけど理解すればリターンが大きい、とか、長いけど全部見たら面白い、とかはどんどん日陰に追いやられていく。

ネットニュースの記者も、SNSでバズりたいユーザーも、それを知っているからこそ「新旧首都対決」がインターネットのどこかで産声を上げたのを、耳ざとく聞きつけたのだろうか。

「新旧首都対決 before:2023」と時期指定してGoogle検索したところ、同じ用例は見つからなかったので、今夏初登場のワードなのは間違いなさそうだ。

別にこれが良いとか悪いとかではない。
どちらかと言えば立派にお金を発生させている点において、世間一般では良いとされるだろう。

ただ、普段使われているわけでもなく、バズるための使い捨てに造られた言葉のことを思うと、なんだかなぁ、という感じがする。
それだけだ。

自分はまだまだ心が狭いのかもしれない、そう思った。


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