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今日の思考 2024/9/30 「気まぐれ」

前書き

note を書こうとすると毎回どんどん内容が膨らんで5000文字くらいのボリュームになってしまう。
もちろん自分が書きたいことを書きたいように書いているのだから、楽しいことには違いない。
しかし、以前の記事にも書いたように、そんなふうに増えていく内容を何度も推敲しながら思考をまとめる過程は、自分の精神エネルギー(パワーというよりスタミナ的なもの)を費やす。続けていると、勝手に燃え尽き症候群みたいなことになる。

短い文章を定期的に書いていく方が自分の健康には良いのだろうと思ったが、今までと同様に何か一つテーマを決めてエピソードやそれについて考えたことを書いていくスタイルだと、自分は短くまとめることができないらしいと分かった。

それで、その日見たものや思ったことを結論もなくメモのように書き留める程度なら、少なくとも自分のメンタルに一切負荷をかけず、note を更新できるかもしれないと考えて、こんな記事を書き始めてみた。約700年前の兼好法師も似たような気持ちだったのだろうか。

体験や出来事よりも『思ったこと』に焦点を当てるつもりなので、日記ではなくこういう題を付けてみたが、もしかしたらすぐに変えるかもしれないし、今回が最初で最後かもしれない。
読む人を想定せず、とにかくゼロ負荷でやってみるので、本当の気まぐれだ。


本題

気まぐれと言えば、レストランでたまに見かける、「シェフの気まぐれ 〇〇」というメニューは実際どのくらい気まぐれなのだろうか。

パスタとか、サラダとか、気まぐれの冠が載っている料理はこれまでにいくつか見たことがある。

注文が入った後で、冷蔵庫の中の食材を眺めて「今回はこんな感じのパスタを作ろう」と決めるのなら、本当に気まぐれと言えるだろう。

だが、「今日は注文入ったらこれ作ろう」と事前に決めていたら、それほど気まぐれではないことになる。シェフの気まぐれ、というよりは、本日の日替わり、くらいがちょうど良さそうだ。

食材の在庫によって調整できるように保険をかけた名前なのだろうか。
「小海老とブロッコリーのプーリア風オリーブオイルソースパスタ」と律儀に書いたら、もし小海老が全部無くなったとき、「ブロッコリーのプーリア風」としてその場しのぎの提供をすることができなくなる。
それを見越して「シェフの気まぐれパスタ」と言うことで、中身が分からないようにしているのかもしれない。

ただ、その可能性は無いように思う。
プロの料理人が、不十分な在庫で商売をするわけがないし、万が一食材が足りなくなった場合にこっそりとメニューを妥協するような、ホスピタリティの低い店が人気になるわけがないからだ。

じゃあ、シェフの気まぐれは何のために用意されているのだろう。

ガチャガチャみたいに、「何が出てくるか分からないワクワク」を体験の一部として提供しているのかもしれない。
自分で書いておいて言うのも何だが、この説はそれなりに納得できる。

そういえば、和食の店で「気まぐれ」メニューを見たことはほとんど無い。
パスタでできるなら蕎麦やうどんでもできるような気がするし、おすすめコース料理のように定食でも気まぐれな組み合わせがあって良さそうなものだ。いや、定食は無いか。気まぐれではないから「定食」なのだし。

和食で思いつくのは、寿司屋で「大将のおまかせ」があるくらい。
しかし、これはその日の新鮮で一番美味しいネタを食べてもらいたいという以外に、時価や仕入れ状況によって提供できるものが変わるからという理由もあるだろう。
その点では、洋食のレストランとは意味合いが異なるかもしれない。

ところで、自分はレストランで「シェフの気まぐれ」も「本日の日替わり」も注文したことがない。
「当店おすすめ」とか「人気No.1」とか書いてあるメニューはよく頼むが、食材や味といった料理の内容が分からないと、手を出しづらく感じてしまうのだ。

もう少し、人生におけるランダム性を楽しめるくらいの余裕を持っていたい。
今度どこかレストランに行くことがあったら、「シェフの気まぐれ」メニューを注文してみよう。
自分の想像の範囲内だけで生きるよりも楽しくなる気がする。

そんな僕の気まぐれ。
いや、「注文してみよう」と事前に決めている時点で「気まぐれ」ではないのかもしれない。

気まぐれって、何だろう。


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