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似非エッセイ永世名人

これはまだ人間として未熟で、自分に与えられた名前すら不釣り合いな、一つの影が記す随想録である・・・


記念すべきエッセイ最初の文として、これほど痛いものはなかなか見られるものでもないだろう。題名も、『中二病でもエッセイが書きたい!』とすべきであるように思われる。
しかし残念ながら、中二病の名残りだけで人格が形成されているわけではなかったので、それは不採用となった。(そして『中二病でも恋がしたい!』は未履修でもあった

さて、初めから読み辛いとは思うが、少しだけ我慢してほしい。
詰まる所、作文の最初の文さえ書くことができれば筆が進む類の人間なので、こうして自虐と言い訳までを引き連れて、痛い口上を一つ掲げて走り出しただけなのだ。

閑話休題。

エッセイなるものに興味があった。

自分ほど歪で、様々なものから影響を受けた人に、これまでの短い人生の中では出会ったことがなかった。そんな自分が頭の中の全てを少しずつ吐き出していったら、最後に何が残るのか知りたかったのかもしれない。

「自分の脳だけがパンドラの匣だとでも言いたいのか?」

自分にはどんな趣味があり、何を好きで何を嫌いで、何から影響を受けて、何を考えて生にしがみついているのか。それを誰かに見せつけて、「心が、人生が、豊かだね」と言ってほしかったのかもしれない。

「しかし色が増えてもプリズムを通った光のように綺麗ではなく、むしろどす黒く濁るだけで、それの何が豊かだと言うのか?」

…………。

お気づきだろうか。思考に対し常に疑問を投げかけ、自分を否定しようとする自分が同時に存在しているのだ。日々自問自答、自分を嫌いになることは簡単で、好きになれるはずもない。
でも、こうやってもう一人の【自分を否定する自分】すらネタにして読んでもらえるなら、エッセイを書くことは一つの希望、歪んだ人格の救済措置だと思う。

斯くして、何もかも混ぜこぜで雑多なエッセイが始まった。五期以上もタイトルを保持できる(書き続けられる)自信もないので、保険を掛けるように【似非】を名乗るが、とにかく文章を書くことは好きなので、気が済むまで少しずつ積み重ねたい。

初めてなので、短いがひとまず今回はここまで。

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