『声』
「お疲れ様でした〜また撮影お願いします」
エロ本の付録DVD撮影が終わった。
現場に残っていたお菓子を咥えたまま慌ててお辞儀をすると彼女はフフッと笑った。
そういう設定の役とはいえ、さっきまでストーカーに追いかけまわされ、組み伏せられて色々なことをされたというのに。その指示をしていたのは自分なのに。
「またよろしくお願いします!」
その声が聞こえたのか、タクシーに乗り込んだ彼女は窓を開けて手を振り会釈した。
どこか寂しげで、あどけなさの残る笑顔が夜の街に消えていく。
上司に相談して早々にまた撮影しようと思った。
今度は追いかけ回される役じゃなくて、男をどうこうしちゃうみたいな、そんな役になってもらおう。仕返しパターン。そしたら今度はどんな笑顔を見せてくれるんだろう。
妄想に妄想を重ねてニヤニヤしていたが、彼女を次に見たのは週刊誌の記事だった。
モノクロ写真の笑顔は、その日と同じだった。
彼女は撮影から程なくして自殺したらしい。
記事では「これが自殺の原因だ」と名指しされたAVのパッケージが掲載されていた。風の噂ではホストがどうとか彼氏がどうとかいう話を聞いたが、実際のところはわからない。
「なんで死んじゃったんですかね」
親類以外の身近な人(というには安易すぎるか)の死を体験したのが初めてだったので、自分の心の置き所がわからず先輩に聞いてしまった。
「こういうことはこれまでもあったし、これからもある。気にしてたらやってられないぞ」
デスクに置いた灰皿にタバコを突っ込みながら先輩は言った。灰が溢れて、黄ばんだカッターマットの上に散らばった。
彼女はあのタクシーでどこへ向かったのだろうか。
向かった先でもあの笑顔だったのだろうか。
何か自分にできたことはなかったのだろうか。
そんなことを15年くらい経った今でも時々思うことがある。そして、今なら少し彼女の気持ちがわかるような気もする。
アダルトの仕事をしていると、あらゆる場面で諦めなければならないことが出てくる。
表立って言われなくても引かなくてはならない時もあったりする。決まっていたことも「やっぱりアダルトの方はちょっと」という理由で無くなることもあった。
諦めなければいけない場面に立ち会う前に、すでに諦めるようになる。そうすることでダメージを最小限に減らすことができる。自己防衛としての諦め。
あの子にもそんな『諦め』があったのだろうか。
最近、あらためてAVという仕事の存在や立ち位置について考えている。
AVや性産業に関わらず肉体労働への偏見や差別は多かれ少なかれ誰にでもあると個人的には思う。父が中卒の大工なので、その空気を肌で感じることが多かったし、父も母も自分も家族みんなも「まあそういうもんだろう」と生きてきたと思う。
言われなくてもそこに存在するであろう偏見や差別が諦めを生んでいる。
Twitterでもよく見る「○○のくせに何言ってんだ」という反応。そこに対して感情的にならず論理的に返していければいいのだが、それができる人はどれくらいいるだろうか。こんなことが重なっていけば声をあげなくなるのも当然で、諦めてしまうのも必然だ。
察することに長けてしまった人が察してしまう空気がそこにある。
ただ、それも少しずつ変わってきた気がする。
徐々に熱を帯び、大きな渦になる直前のような、そんな空気。
『声をあげないというのは何もしないと同じこと』
そんなリプが来た。実際にはそうなのかもしれない。しかし、そういう反応が声をあげられない環境を作りあげた。
『声にできない声にも想いは必ず宿っている』
熱にほだされてスマホの画面を指で叩く。
打ち込んだ文章を読み返したら恥ずかしくなって消してしまうだろう。
とあるプロレスラーが高所から飛ぶときの秘訣として「怖いと思う前に飛ぶ」と言っていたのでそうすることにした。
タイムラインにツイートが流れる。
そのツイートが『そうめんのおいしい食べ方』やフォロワーがリツイートした水着キャラのイラストに埋もれていくのを見つめながら、あの日タクシーから手を振ってくれた彼女のことを思い出していた
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