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同じ傷がある

「そこのカッコいいお兄さん! ちょっと見てって~」

この街では約5メートルおきくらいに「もしかしたら自分はモテるのでは?」という錯覚に陥ってしまう。その街に存在するすべてのおばちゃんが褒めてきて、美人なお姉さんがにこやかに手を振ってくるのだ。

マフラーに顔を埋め、露出度の高い衣装に身を包んだ女性をチラチラと横目に見ながら歩いていると、いつの間にか店先の提灯もあたりを歩く人も少なくなっていた。

いつかもこうして道に迷った気がする。
飛田新地で迷うのは、街の作りだけが原因ではないのかもしれない。

スマホでマップを開いてみると、中心からだいぶ離れて端の方まで来ていたようだ。時計を見ると、新世界にある串カツ屋の閉店時間が迫ってきている。今日は絶対に串カツを食べるんだと、新横浜を過ぎたあたりで決意していたので絶対に曲げられない。どこに行っても「マックか松屋でいいです」で済んでいた年齢ではなくなっている。

来た道を戻ろうと踵を返した。しかし、同じ道を戻ると「お兄さん迷ってるならここ! 早くしないと」と声をかけられて恥ずかしいので、最初の角をひとつ曲がる。すると、まるで「こちらが正解の道ですよ」と示すかのように、提灯の明かりが道を挟んで列をなし、その先に人だかりが見えた。

この光景に見覚えがある。

マフラーを外すと首元からひんやりとした空気が侵入してきた。あの日もたしか、こんな空気だった気がする。


「お兄さん! そこのカッコいいお兄さん!!」

初めて来た飛田新地の1日目は失敗だった。
いや、失敗というには相手に申し訳ない。期待が大きすぎただけだ。

中心部に行けば行くほど『若くて美人』とネットには書いてあったので、期待に胸と様々な部分を膨らませ『ど真ん中』にあった店に入ったのだ。

たしかに若くて美人だった。しかし、ただそれだけだった。もちろんそれだけでも充分すぎるほどの容姿だったけれど、久々に実家に帰った時の飼い猫かと思うほどの素っ気なさが僕には受け入れられなかったのかもしれない。こんな出来事が無ければ、大阪2日目の夜は新世界で串カツを食べていたはずなのに。

新地の中心から徐々に遠ざかる。ネットで得た情報によると、中心部から離れるにつれ年齢が上がっていき、若さという武器がなくなるにつれサービスだったり内容に変化があるらしい。

頭の中で反芻していると、いつしか提灯も通行人も、おばちゃんから掛かる声も少なくなっていた。

「にいちゃん! 足が悪いなら休んでき~」

ヘルニアの手術で僕の身体には後遺症が残った。知らず知らずのうちに足を引きずっているらしい。その部分を指摘されたのは新地で初めてだったので目を向けると、足元にヒーターを置いたおばちゃんがいた。隣には眼鏡をかけ、AKB48風衣装に身を包んだ女性が正座の状態で手招きしている。

次の提灯までにはまだ距離がある。夏の夜、虫が電灯に向かうように僕は店に吸い込まれた。

「足が悪くて」
「ゆっくり脱ぎや。今日はまあ人もあんまりおらんし」
「ありがとうございます」

靴を脱ぎスリッパに足を突っ込む。

「スリッパ、履かんでもええよ」

おばちゃんが自分の足首を指差している。ヘルニアの後遺症で、スリッパを履くと足首が下がってしまいすぐに脱げてしまう。そのことを知っているということは、同じ後遺症を持っているのだろうか。

「じゃあ上に行こか」

お姉さんがにっこりと笑った、気がした。
飛田新地童貞は失っていたものの、女性に対する気恥ずかしさは消えることがなく、いつも通り顔を見ることができない。

「階段あぶないから気をつけてね」

そう言って繋いできた手は、昨日の子よりも少しだけ温かった。

部屋の敷居をまたぐとそこは常夜灯の明かりだけが頼りで、街の明るさに比べるとのギャップに光と闇を感じた。

「選んでくれてありがとうね」
「あ、いえ、こちらこそ」
「寒かったでしょ?」

部屋の暗さに目が慣れてくると、ようやくお姉さんの顔を見ることができた。小さな顔に切れ長の目、笑うと八重歯が見える。こういうところでなければ、僕の人生で交わることのない人だろうな、と思った。

「じゃあ用意してくるから待っててね」

そう言って部屋を出ていく。襖が開かれると明かりがなだれ込んできて眩しかった。

部屋は6畳ほどの広さで、中央には布団が敷いてある。枕元にはティッシュ類が置いてあり、窓の外からはおばちゃんが通行人にかける声が時々聞こえてくる。

「お待たせしました~」

お姉さんが飲み物とお菓子を持って戻ってくると「じゃあお洋服を脱いでもらって」と促された。それに合わせてお姉さんも服を脱ぎ始める。スレンダーな身体つきと輪郭の小ささはバランスが取れていて、ぼうっと見てしまった。

「顔だけじゃなく身体も綺麗ですね」と口から気持ちが漏れてしまった。褒めることすべてが相手の喜びに繋がると思っていた。一瞬だけ間が空いて「そんなことないよ」と返ってきた。

仰向けに寝ると、上にまたがったお姉さんの頭上に常夜灯の輪っかが重なった。それがまるで天使の輪っかみたいに見えて、なんだか少し悪いことをしているような気がする。しかし、下半身に感じる骨っぽさと脂肪の薄い太ももの感触と、顔が近づいた時に感じる荒い吐息が、そんなことを忘れさせた。


「今日はお客さん少ないから、時間少しサービスしていいって」

ひとしきり終わったあと、お姉さんは添い寝をしながらそう言った。外からは変わらずおばちゃんの声が聞こえてくる。ありがとうおばちゃん。

「ヘルニアって大変?」
「そうですね。寒いと神経痛が出るし手術痕も結構残っちゃって」
「どのあたり?」

背中を向け腰のあたりにある手術痕を指差す。1年半で3回も同じ箇所を切ったので、まさに『手術痕』という感じだ。

「もう外側からの痛みはないんですけどね」と言うと、ひんやりとした何かが傷跡をなぞる感覚があり身体が反射的にビクッと反応してしまった。「ごめんね。大丈夫?」とお姉さんの心配そうな声が聞こえた。

「いや全然大丈夫です」

仰向けの体勢に戻ると、蛍光灯から伸びた紐がゆらゆら揺れている。部屋のどこかにあるのか、時計の針がチクタクと音を立てている。

「傷」
「え?」
「私もあるんよね」

ほら、と言って手首の内側をこちらに見せた。そこには横断する数本のカット痕。

「驚いたやんな。うちなんでこんなん言うたんやろう」

自嘲的な笑いを含んだ声。なんと返したら良いかわからず、僕は手首の傷を指でなぞってみた。指先から彼女が少し震えているのがわかる。

「同じ傷、ですよ」
「同じかな?」
「だと思います」
「ありがとう。ごめんね」

細い手首に残る傷跡を両手で包み込むと、彼女は天井を向いたまま「あったかいね」と言った。僕の両手に彼女が手を添える。外からはまた、おばちゃんの声が聞こえた。


もう10年以上も前の話だ。

あのときに言った「同じ傷」というのは何のための言葉だったのだろう。アダルト仕事のおかげで見慣れていたからなのか、慰めなのか、それとも単純に気に入られたかったからなのか。彼女はいま元気だろうか。

「お兄さん! 足悪いなら休んでいき~」

声のする方をみやると、足元にヒーターを置いたおばちゃんが手招きしていた。隣には童貞を殺すニットを来た女性が、にっこりと微笑みながら座っている。

僕はマフラーを巻き直し、AV辞めたらまた来ます、と心のなかでつぶやいた。

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