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『実家に帰ったら母が顔面麻痺になっていた』
母方の祖母の葬儀に出るため、久しぶりに実家に帰った。年末年始は毎年帰っていたが、年明けから体調が芳しくなく今年は遠慮した。もしかしたら、電車を乗り継いで1時間かかるかどうかという距離感も億劫さに拍車をかけているのかもしれない。
実家に帰ったら母が顔面麻痺になっていた。
父は白髪が増え少し小さくなっていて、真ん中の弟は養育費を以前とは別の女性にも払っていた。変わらないのは長男である私の生活と、三男が引きこもりを続けていることだけだった。
祖母の葬儀で母はサングラスをかけていた。
顔の半分が垂れたままだから、それを見せられないという。会ったことのあるようなないような親戚に頭を下げて席に着く。
自宅葬という方式を取ったらしく、叔母の自宅で葬儀が行われる。父が小声で「自宅でやると大変だな。狭いし」と言った。「たしかに」と返してスマホを機内モードにする。
家でお坊さんがお経をあげる光景がどうにもしっくり来なくて、拝むふりをして目を瞑った。真っ暗になると、顔の半分が垂れたままの母がチラつく。ハッとして目を開けて、また閉じて、ハッとして。何度もそんなことを繰り返しているとお経はピークを迎え、ありがたいとされるお言葉をいただいて葬儀が終わった。
親戚の中では身体が大きくて若い方ではあるので、お坊さんが帰った途端に興味がこちらに向けられる。
仕事は何してるの?
映像とかデザインです。
どれくらい儲けてるの?
自分が生活できるくらいです。
今度写真とか撮ってくれない?
ええまあ。
結婚とかしないの?
相手がいればって感じですね。
「じゃあそろそろ」と、その場をいなして席を立つ。
嫌な感じに取られない自信はあった。AVは人に嫌な感じを与えてできるものではないと思っている。10年撮り続けたら自分を取り繕うことが上手くなった。
玄関を開けると冷たい風が真正面からぶつかってきてすり抜ける。首を縮めてマフラーを巻く。振り返ると、履き慣れない革靴に父が苦戦している。
「今日は片付けがあるから帰れない」
母がお土産の寿司を持って声をかけてきた。夜だというのにサングラスをしていて危なっかしかった。
「わかった。また家に帰るよ」
「いつくらい?」
「確定申告くらいかな」
会話が止まる。靴に苦戦する父がもどかしかった。
「こんな顔になっちゃった」
母がポツリと言葉を漏らした。何も言えなかった。言葉選びには自信があるけれど、こんな場面で出せるワードを私は持っていなかった。
階段の手前で母を止める。また連絡する、と言って歩き出す。父はいつの間にか前を歩いている。小走りして追いつく。シンとした住宅街に革靴の音が響く。
「先々月くらいかな。ストレスらしい」
「治るもんなの?」
「お医者さんは治るって言ってたけど、半年くらいかかるらしい」
「まあ治るならいいんじゃない?」
「絶対ってわけじゃないらしいんだよな。仕事もその顔で行ってるし」
「そうなんだ」
近くに停めていた車に乗り込む。持ってきた服に着替えると、ようやく締め付けから解放された。
「マック行ってくるけどなんかいる?」
「ナゲット」
「新しい味が出たらしいから買ってくるよ」
目の前にあるマクドナルドに向かう途中、今日のことを思い出し『終わった』と思った。正確には『このままだと終わる』だろうか。顔面麻痺の母、無職の父、養育費が倍になった弟、無職その2の弟。先細りが目に見えている。
後部座席のドアを閉めると、車内に黒胡椒の香りが充満していく。ガサガサと袋からチーズバーガーを取り出し食べ始めると車が動き出した。
「そういえばうちのローンってあとどれくらいあるの?」
突然どうした? と不思議そうにしながら「あとこれくらいかな」と、ミラー越しに父がパーを見せる。
「お母さんの誕生日もうすぐでしょ? 今度持っていくよ」
つい言ってしまった。思い出してもなんでこんなことを言ったのかわからない。老後に向けて貯め始めた貯金のほぼ全額だ。
改めてお金に執着がないんだな、と思う。無くなったらまた貯めればいいや、どうせこれからも独り身だろうし、と半ば諦めの境地に達している側面もあるのかもしれない。
「いいよ、自分の生活があるだろ」
「それは別になんとでもなるから」
「とはいえなぁ」
「まあ大丈夫だよ」
この大丈夫は誰に向けたのだろう。
残してきた仕事があるので実家には戻らず、最寄りの駅で降ろしてもらう。乗り継いだ電車が高円寺駅に到着すると同時に父からメールが届くいた。
『ネクタイ忘れたなチキンナゲット酒つまみバチり』
句読点も『っ』も打てていないメールを見て『典型的だな』と思い、笑った。
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小学生の頃、自分の名前の由来を発表する授業があった。
私の名前には『介』がつく。人を助ける、という意味があるらしい。だからといって、それに引っ張られてきた人生ではないのだけど、最近はそんな人生だったかもしれないな、と思うことが増えてきた。
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