見出し画像

ボクの夏と同じだな

「今日行けなくなっちゃった、ごめんね」
打ち上げ花火の音が落ち着いたタイミングで、一緒にこの夜空を見上げているはずだった女の子からメールが届いた。

「いいよいいよ気にしないで。また今度〜」
送信ボタンを押すと「ドン!」と大きな音が鳴った。

男6人でつるむ大学生活が3年半ほど過ぎた頃の話だ。全員もれなくオタクで、集まってはゲームをしたりアニメを見たり声優を語り合ったりして毎日を過ごしていた。

教授を含めても、結局4年間に10人程度としか会話をしていないボクにとって、このグループは心地良かった。もちろん誰にも女っけはなかった(と思う)。

ある日のこと、ボクは教職免許を取得する際のゼミで出会った女性に恋をした。

「2次元至上主義」を自負していた我ら(勝手にまとめて申し訳ない)だったが、ちょっとそれは置いといて、という感じだった。やはりリアルには勝てないのかもしれない。

いつもハキハキとしていて、男女分け隔てなく友達がいて、低身長で明るくて、こちらの領域に嫌な感じなくヒョイと飛び込んでくる。ボクとは真逆の存在だった。

季節は夏。

バイトをするでもないボクの夏休みは、死ぬほど長くて死ぬほど暇だった。将来に不安があるのに楽観的で、だからといって何をするでもない。

セミの鳴き声をクーラーの効いた部屋で聞き、日がな一日ゲームをしていたボクは人間としては死んでいたかもしれない。

「◯◯の花火、見に行かない?」
テレビから「残暑」というワードが聞こえ始めた頃、彼女からメールが届いた。「え!」と声が出てしまう。その声に反応して「ニャア」と猫が鳴く。携帯電話をスライドさせて開くと「餌じゃないんか」という顔をして、猫が寝の態勢に戻る。

「もちろんいいよ。急にどうしたの」
そこまで打って「急にどうしたの」を消す。

「もちろんいいよ。楽しみ!」
あくまで冷静な男であることを主張しつつ、でも嬉しさをちゃんと表現してみた。送信ボタンを押す指も心臓も震えている。何時にどこ、みたいな返信を確認するといつも以上に「シャキッ」と音を鳴らして携帯電話をスライドさせた。

甚平で外に出る小っ恥ずかしさは、電車を降りる頃には消えていた。いまはそれよりも「ひとりで花火を見上げていること」の方が恥ずかしくなっている。

この日のために買った草履は、やっぱり親指と人差し指の間がジクジクと痛んで、その痛みだけで皮が剥けてることを予感させた。

ドン、ドン、ドン

花火が見えてから間を置いて音がやってくる。目に焼きついた光の束がジワリと闇に滲む。やがて花火大会の終了を予感させる連打が始まり、始まったと思ったら終わった。ボクの夏と同じだな、と思った。

穴場の花火大会ということもあり、帰りの電車はそれほど混んでいなかった。今日一日のテンションの上がり下がりに疲れてしまい、ぼんやりと窓を見つめる。少しサイズが小さくて、上半身がパツパツになった甚平を着た人が、なんとも言えない表情で映っている。

どこかの駅で電車が止まった。扉が開いた途端に人がなだれ込んでくる。近くで花火大会か祭があったのだろう、浴衣を着たカップルや親子連れが多い。窓に映る自分の表情が一段暗くなった。

満員電車が滑るように駅を出発した。揺れるたびに女を抱えた男の背中がぶつかってくる。その都度、窓越しにこちらを見ていることがわかるので気まずい。目を伏せてやり過ごす。

こんなことを何度か繰り返していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

ボクを花火に誘った彼女の声だった。

声のする方を向くと、彼女は満員電車の乗客から守られるように浴衣の男に抱えられていた。すぐさま正面に向き直す。本日何度目かのなんとも言えない表情をした男。

窓越しに見たふたりはとても幸せそうで、出かける前までは自分がそうなると信じていた光景を繰り広げていた。

「今日行けなくなっちゃった、ごめんね」

何回見たって文章が変わることなんてないのに、何度も何度も読み返してしまう。やめた方がいいのはわかっているのに、窓越しにもう一回ふたりを見てみる。

男は身長が高くスラッとしていて、誰が見てもイケメンというような見た目だった。自販機のコイン投入口にガムを詰めるのが趣味とか、道行くおばあちゃんを引っ叩いて回っているとかでもない限り、勝てるポイントが自分にはなかった。

電車が止まると人をかき分け急いで下車した。そこは知らない駅で降りたのはボクだけだった。自販機だけがぼんやりと光っていた。そこからどう帰ったかは、よく思い出せない。

それからだいぶ時間が経った。学生だったボクはうっすらと社会を経験し、いつの間にかおじさんになっていた。こんな思い出でも笑い話としてみんなに公開できるなら、おじさんになるのも悪くないなと思う。だから当時のボクに言いたい。

数年後、その女の子に宗教施設へ連れて行かれるぞ、と。

「ドン、ドン」と、遠くで花火の音がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?