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再録「あのときアレは高かった」〜マジソンバッグの巻

「あれ、欲しい!」

そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。

昭和の、子どもには「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。

     ◇

1970年代に一世を風靡したマジソンバッグである。今思うに、なぜこんなものが学生の間に流行ったのだろうか。

このバッグは日本の「ACE(エース)」というカバン屋さんが作ったオリジナルで、言うなれば、アフリカの学生さんたちがこぞって「代々木体育館」とか「横浜アリーナ」と日本語で書かれているバッグを持ち歩いていたようなものである。

思えば、あの形の「スポーツバッグ」自体が目新しかった。

振り分け荷物や風呂敷とまでは言わないが、まだまだ学生が持つバッグなんていうものは、布製のズタ袋的なものが主流だった。そして時を経て、エナメルコーティングの「アディダス」や「プーマ」「ローリングス」などのライセンス系スポーツバッグが次々と発売されていったが、マジソンバッグの発売はそれに先鞭をつけるような格好だったと思う(1968年発売)。

今みたいに、スマホとコンビニですべてが済んでしまうような世の中ではなかったので、昔の学生さんは概して大荷物野郎だった。勉強道具はもちろんのこと、弁当に水筒、部活道具、タオルにレコード、紙麻雀のセットや将棋盤まで持ち歩いている奴がいた。

マジソンバッグの当時の値段は2500円(1973年当時)。今の値段に直すと約6000円である。

当時としてはなかなかの高額商品だったように思う。

この値段で買ったのは「かっこよさ」というよりは、みんなと同じレベルという「無難さ」だったような気がする。だが、同時に、みんなが共通に憧れていた「アメリカの代々木体育館」フレーバーがこの値段で味わえたのは、ちょっとだけ「お得感」だったような気もしている。

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