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(第35回) 大磯・旧吉田茂邸と湘南の夕暮れ

 加山雄三、ユーミンにサザンオールスターズ、湘南乃風というバンドもあった。大ブームとは言えないまでも、なにかといいイメージで振りまいてきた湘南ブランドだが、最近はあまり耳にしないような気がする。過大評価の弊害か、広範囲に「湘南ナンバー」が交付され、もはやスーパーの二階で売っているような「なんとなくブランド」みたいな言葉になってしまったような気さえしている。

 ひさしぶりに湘南を訪ねた。実家の老婆がどこで聞いてきたのか、「旧吉田茂邸」を観たいので、私に「大磯へ連れて行け」とせがんだのである。

 東海道の戸塚近郊に居を構える我が家も、この吉田茂にあながち縁がなかったわけではない。戸塚にはその昔悪名高き「開かずの踏切」があった。当時、大磯に住んでいた吉田茂は上京の際、国道1号線にかかるこの踏切を嫌い、自らの威光で迂回するバイパスを建設した。それが戸塚道路、別名「ワンマン道路」である。このワンマンとは、戦後復興へ「ワンマン宰相」の名をほしいままにした吉田茂の愛称である。

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袴姿にハットとステッキ。和洋折衷の紳士スタイルが豪快だった。

 ワンマン道路を経由し、国道1号線から藤沢周辺で海岸部へと抜ける。海沿いの134号線は西湘バイパス(1969年開通)へと続いていく。この道程は思い出の道でもある。それは「大磯ロングビーチ」への道だ。

 大磯ロングビーチは1957年に開業。海を見渡せる巨大なプールがウリの娯楽施設だ。垢抜けた広告宣伝も相まって、今で言うディズニーランド並みの「憧れの地」だった。

 西湘バイパスを走る。まもなく大磯だ。

 戦後の大宰相、吉田茂が暮らした「旧吉田茂邸」は、2009(平成21)年に原因不明の火事で消失してしまった。地元の強い要望で再建に向けての準備が進められ、2017年に復元された。

 観光スポットとしての邸宅は、サンフランシスコ講和条約を記念して建立された兜門(講和条約門)、邸宅、回遊式日本庭園、銅像などで成り立っている。

 いくら大宰相とはいえ個人の邸宅にどれほどの価値があるものかと訝っていたが、「戦後のリアリティ」溢れる吉田茂の息遣いが聞こえてくるようでなるほど興味深い。平日にも関わらず多くのゲストが来館しており、展示された資料や復元された部屋、窓から眺められる富士山や海の景観などを存分に楽しんでいた。

 私は、歴史的建造物の「復元」に懐疑的だった。「レプリカ」になんの意味があるのか。そんなふうに思っていた。写真などの資料が豊富に残っている近現代だけあって、旧吉田茂邸の再現度は見事だった。正確なところまではわからないが、当時、近代数寄屋建築で名を馳せていた吉田五十八氏の設計思想や施主吉田茂の思いは、ゲストにじゅうぶんに伝わっていた。

 さらにいいのは、観光スポットとして、ゲストを迎え入れる環境がうまく向上していることだ。トイレや各種手すり、また障子に見立てたガラスなど、ゲストの快適さやメインテナンスのことを考えた細やかな改善が施され、「旧吉田茂邸」としての物語は壊すことなく、さらに明るくさらにわかりやすく、その場の雰囲気を伝えている。

 古くなってしまった建物の寝室や書斎は、ともすると「不気味」になりやすい。だが、ちゃんと物語の深みは残しつつ、さわやかな「読後感」(訪れた後の余韻)をもたらすようなつくりがとてもよかった。

 残念なことに沖縄の首里城が焼け落ちた。たくさんの人の努力によって復元された観光スポットだった。物語の骨格さえあれば、またいつかきっと素敵な建物に生まれ変わる、そう期待する。

 夕暮れ時、旧吉田茂邸の近くにある俳諧道場「鴫立庵」に立ち寄った。西行法師はここに「こころなき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ」という歌を残した。短い歌に込められた物語の深さを改めて感じた。

〜2020年1月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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【旧吉田茂邸(大磯町郷土資料館別館】神奈川県中郡大磯町西小磯418(県立大磯城山公園内)

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