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再録「あのときアレは高かった」〜トランシーバーの哀愁の巻

「あれ、欲しい!」

そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。

昭和の、子どもには「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。

     ◇

これだけ携帯電話が普及した現在となっては、この話は完全なファンタジーだ。

手にはかまぼこの板、「応答せよ、応答せよ」。

それで何かと通じあっていると思い込む当時の感性のほうが、今となっては「古代マチュピチュ的」神秘さだと言えるが、とにかく、どこでも自由に交信できる「機会(機械)」に、少年たちは飢えていたのであった。

当時は、通信系のドラマも数多く存在した。

私は個人的には、空を飛びながら腕時計で博士と交信する『光速エスパー』(1967年、日本テレビ系)と、出ていたおねえさん(牧れい)がやけに色っぽかった『緊急指令10-4・10-10』(72年、NET系)が好みだった。

通信は目的遂行の手段にすぎない。だが、当時は通信自体がひとつの「遊び」になっていた。図工の時間に作った糸電話はシブすぎるにしても、「技術・家庭」の時間に作ったインターフォンに大騒ぎし、お年玉を集めて買うトランシーバーで、探偵ごっこに興じる。そんな「通信うぶ」な時代だったのである。

トランシーバーの当時の価格は3000〜4800円(アサヒ玩具)。

掲載した広告の発行年代が完全に特定できなかったが、だいたいの時代で現在の価格に直すと7500〜1万2000円。性能が高ければ、それだけ本体も高い。後年、映画『私をスキーに連れてって』(87年)のゲレンデシーンでナウなヤングがかっこよさげにトランシーバーで交信していたが、その描写自体がバブルの最たるものであったとも言えよう。

時代は変わった。いまや、トランシーバーには哀愁がある。スマホでもガラケーでもない。クールだ。ただ、ひとつだけで困ったことがある。あれはひとりでは使えない。ひとりぼっちでは、お菓子入れにもならない。


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