再録「あのときアレは神だった」〜桂小金治
テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。
(2016年より、夕刊フジにて掲載)
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最近、「感動ポルノ」なる言葉を耳にする。これでもかこれでもかの「お涙頂戴」番組に対して、感動の強要や垂れ流しを揶揄(やゆ)・批判した言葉だ。
感情の発露である「泣き」を単なる「演出」としてとらえてしまうのも、なんだか物悲しい。
その昔、「泣きの小金治」と言われた男がいた。桂小金治である。わたしが小学生の頃、テレビをつけると、彼はいつも泣いていた。
1975年に始まった番組『それは秘密です!!』(日本テレビ系)内の人気企画「ご対面コーナー」での「もらい泣き」で、彼は年中泣いていた。
よく、女子高生ぐらいの娘さんを「箸が転んでもおかしい」お年頃というが、中年から初老にさしかかろうとする時期(49歳~)、小金治はまさに「箸が転んだくらいで泣く」ようなお年頃だった。
まだこの時代は、「男たるもの、めったなことで泣いてはならない」という風潮が強かった。泣くのは親が死んだとき。12、13歳の頃、親に怒られ涙ぐんでいたら、それを見て頭に血が上った父親に「男のくせに、泣くな~!」と思いっきり怒鳴られたことは今でも覚えている。
とにかく、泣くな! 良きにつけ悪しきにつけ、そんな時代だった。
感動を押し付けるな、それは「ポルノ」だ、なんて了見が狭い。感動して泣いて涙腺からストレスが出て元気になれるなら、それはそれでいいじゃないか。泣きたきゃ泣けばいいし、泣きたくなきゃほっとけばいい。
「全米が泣いた」なんていいかげんなことを言うぐらいなら、「全日本が泣いた」のほうがよっぽどいい。
少なくとも泣けるうちは次の災難が起きない。人の心を失い、涙の消えた瞬間が本当は怖い。このことを知ってか知らずか、「泣きの小金治」は、平和なお茶の間のブラウン管の向こうで、ずっと昔から泣き続けていた。 =敬称略 (中丸謙一朗)
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