1周まわって居なくなって欲しい人2

母は、幼い頃はさらに過激で、私からしたら毒親そのもの。
自分の機嫌は他人に任せ切りで、上機嫌でいられないのは全て他人のせい。
お湯が吹くのも、おかずが焦げるのも、美味しくないのも、自分の皺が増えたり醜くなるのも、姉の成績も全部お前のせいだと言われていた。

いつから言われていたのか覚えていないけれど、お風呂でのぼせて倒れて、当時は好きだった父が布団まで運んでくれた事があった。その時、私がこんな事を起こして騒いだら、姉の成績に響いて、下がったのはお前が倒れたせいだと怒られるから、何もしないで欲しいと泣いて頼んだ事があって、それが小6だったから、その時には言われていたよう(その日から数日間は言われなかった)。
母から与えられた課題を私が出来なければ家族は誰も出掛けられず、出来なくて泣けば頁数を増やされ、私は予定を入れた休日は3時に起きた。家族の約束も、友達との約束も反故にされるから。誕生日会もキャンセルさせられ、それから誘われなくなった事もあったけれど、全て出来ない私が悪いのだから仕方ない、逆恨みをするなと怒られた。
家族旅行の予定を入れた時などは数日前から、前倒しで課題を片付けなくてはならなくて、それでいて誰かが風邪を引くなどして行けなくなり延期になると、またその日の為に私がいつもより多めに泣き、母が無能な私に怒鳴り、耐え切れない姉が家から出てあてもなく歩くという日が続く。
課題をこなせないと、旅行中も憂鬱だったけれど、私が家族を楽しませなければならないという、いつからか持っていた謎の使命感から、体調不良も押し隠してはしゃいで見せる事になった。ツライ。

中3になってから、保護者会の日程を伝え忘れた事があった。あと数日で保護者会という時点で言えば良かったのに、伝え忘れた事実を言ったら母が怒り家族が凍る事が怖くて言えず、ついに言わず、後日知った母は私を叱ったけれど、そこで私は言えなかった訳をブチまけた。そもそも忘れていた私が悪いけれど、言えなかった。言ったが最後、母は自分の気が収まるまでなんでも私のせいにして怒鳴りつける、そんな人に言えるものかと。
母は黙って、その場は終わり、それ以降お前のせいで、と責められる事は無くなった。

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