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#17 2024/07/26|寺と仏教とわたし(ゲスト:天台宗普賢寺 第43代住職 小野常寛さん)

2024年4月からスタートしている「渋谷でDeathラジオ」。放送の詳細やオンエアに載せきれなかったこぼれ話などをご紹介していきます。

#17 2024/07/26|寺と仏教とわたし(ゲスト:天台宗普賢寺 第43代住職 小野常寛さん)

◇今週のアーカイブはこちら

 


■前半
・ゲスト
天台宗普賢寺 第43代住職 小野常寛さん
https://www.fugenji.com/

小野 常寛さんの自己紹介

・東京の府中市にある普賢寺というお寺の住職
・僧侶としては変わった経歴で、一般大学進学後、組織、人事のコンサルティング企業に就職
・寺と仏教を盛り上げるために、株式会社結縁(けちえん)企画で起業。寺カフェなどいろんな方々にお寺に来ていただけるような事業を展開
・その後、普賢寺に戻り現職に
・現在もカフェをやったりヨガをやったり、街に開かれたお寺として、いろいろな仏教行事を展開している

一度、就職しようと思ったのはなぜ?

・祖父が元々通産省で働いていて、婿養子で僧侶になった。その影響もあって、お坊さんの世界だけでなく、一般社会というものを経験したり知りえなければ、良いお坊さんになれないのではないかという仮説が僕の中であった。
・檀家さん信徒さんは一般の人。一般の人がおかれている社会的境遇を知ってからお坊さんになっても遅くないのではないかと思った。
・30代でたくさんの経験を積みたかったのでベンチャー企業に就職
・もう少し働きたかったが、父が様態が悪くなり早めに寺にもどることに。ブランクを埋めるために再び修行に行ったりしながら、お坊さんの生活に戻っていった。
・大学在学中に修行を終えて最低限のお坊さんの資格を得たが、就職をしてビジネスで研鑽していたので、そこと仏教を掛け合わせでできることは何かを考えていた。

修行ではどんなことをするのか?

・千日回峰行。比叡山の住職じゃないとできないが、百日回峰行は条件を満たせば地方の僧侶も1年でできる。
・天台宗にはいろいろな修行の機会があり、やりたい人間だけがやる。せっかく命をいただいたんで、できることはやろうというところで機会があれば参加している。
・百日回峰行は、百日間連続で比叡山を1周する修行。約30キロの行程。 夜の1時半ぐらいに起きて朝の8時ぐらいに帰ってくるという行。途中でやめたら、腰に巻いている紐で首を括って自害しなさいという不文律がある。中途半端な覚悟ではやってはいけないというもの。
・ ただ歩くのではなくて、260か所ぐらい拝む場所がある。その場所に到達するために歩くという手段を用いる。拝むために歩いている。それを百日連続で行うということ。
・千日回峰行では、600日目と700日目の間に9日間、飲まず食わず寝ず横にならずという、人間だと到底不可能だと言われてることを成し遂げることで、生き仏になれるというもの。
・天台宗の最澄さんは、お坊さんでも属人でも同じように仏になれるという考え。一般人でも、皿洗いであったり、家事・選択、そういうものも修行だとして捉えられれば修行になる。僕自身も育児はいろいろな学びがあるし、それを仏教的な観点で修行として捉えている。

■曲

There Will Never Be Another You -Chet Baker

<選曲理由>
ジャズの界隈ではスタンダードとしていろんな方がカバーしている。「There Will Never Be Another You」は、失恋ソングで、 また秋も来るし、冬も来るし、春も来るけれども、あなたは絶対に現れないという意味。「もう1人のあなたはいない」と勝手に解釈をしていて、そこがとても仏教的だと感じている。

■後半

死によいも悪いもない

・僧侶という立場上、いろんな死に直面する。自死される方、病死される方、水子さんなど。 どれが良い死で悪い死なのかという善悪の判断は人間がしているだけで、死は、死という現象だけのものである。仏教では思い通りにならないものとして捉えている。
・例えば戦争で亡くなった方であったり、病気でどうしても 生きたくてもいきられなくて亡くなった方っていうのが悪い死なのかって言ったら、別にそうではない。
・生がある以上は、必ず死がある。残念ながら、死ぬということからは免れることはできない。そこに良い悪いというレッテルを付けるのではなくて、僧侶としては ただただ亡くなられた方を弔うという姿勢に徹していなければいけない。
・死に良い悪いというラベルを貼らない。

Deathフェスについての印象

・知り合いのお坊さんも結構行っていた
・生きている人間が死を考えるって非常に大切なことだと思っている。僕もインドに行くと、普通に亡くなった方を街中で目の当たりにしたことが何度もある。この光景は、一昔前の日本でも当たり前にあったんだろうなと考えると、いまは結構、死が隠されているように感じる。いずれは自分にも同じようなことが起こるんだよっていうのを感じづらくなってる。
・死というものを、いろんな方法、手段があるが、それをタブー視するのではなくてしっかりと話す。そして人間を必ず死ぬということを理解するっていうのは非常に大切。
・若者にとってその死というのがどんなものであるかというのを議論して、恐れなのか怖さなのか、1つの安心なのかわからないですけど、そういうところをちゃんと話した上で生き抜く、生きていくっていうのが非常に大切なことだと思う。

常寛さんからのお知らせ「カフェテラス普賢寺」について

・普賢寺で月、水、木、金でお寺のカフェを開催している。火曜日は寺のヨガもやっていて、毎月28日の護摩祈願などいろいろな催しを定期的にやっている。多磨霊園の近くなので、死について考えるよいきっかけになるかも。ぜひ遊びにきてください。

デスフェスからお知らせ

・デスフェスナイト@終活スナックめめんともり
8月20日(火)Deathフェス×落語『怪談噺』企画中!
渋谷のラジオで「渋谷でそろそろ」という番組を担当されている林家はな平師匠をお迎えして、スナックで怪談を楽しむ場を設けました。夏の夜、怪談噺で涼しくなりませんか~

https://www.rakugo-kyokai.jp/members/un8f2s09juiy


番組へのお便り

こちらの記事をご参考にどうぞ。

https://note.com/deathfes/n/n930fe6d4a36d


★★すべてのアーカイブはこちら!

https://note.com/shiburadi/m/m458e51f0078b






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