⑧紹介する自己/line

 僕は嘘をつくりだすことを生業としている。職業名はない。よく間違えられるのは小説家だけど、そうじゃない。それはなりたかったけどなれなかった。ただそれだけ。今は違う。案外、自分が必要とされている場所が分かったなら、何もかも放り出してそっちにいってしまうものだ。夢も、それまでの努力も捨ててまでも。

 黒星さんたちと会うまでの僕は主に、ふつうに生きていた。ふつうに生きるのも大変だ。苦悩も希望もごっちゃにある。その中で自分がどうしようもなくオールラウンドな存在だと自覚する。月並み月並み、月並み。ひどいもんだ。僕の頭の中はほんとにこんなんばっかだったんだから。毎日誰もいない家に帰ってきて、なんかする。なんかしてた。なにをしたかは覚えてない。日曜日は僕を必要としていなかったし、月曜日は常に僕を求めていた。

 適当な人間は山ほど見てきたけど、僕はその八合目付近にいると思うね。ほんとに。

 だから、時間しかなかったから、とにかくPCを開いてキーをタッチすることにした。なんでそうしたのかは覚えていないし分からない。ただ漠然とそういう意識が、いつのまにか頭の中にあった。僕なりに経験値を積んでいたのかもね。最初はたいあたりとしっぽをふることしかできなかったけど、レベルアップして進化して、なんかけっこうつよくなってた。そんな感じ。

 キーをタッチして、文章を走らせて、文章が溜まると僕はそれをインターネットの匿名掲示板なんかにアップしていた。こんなん書いたぜお前ら見ろよって。思えば僕の唯一と言っていいくらいのアイデンティティだったから。

 反響はそれなりにあって、ぼくはうれしかった。とてもうれしくなった。肯定的な意見と否定的な見方がたくさんあって、そういう当然なことが、僕を当たり前の人間に昇格させてくれているみたいで励みになった。でもだからといって、僕は続きを書かなかった。期待されるとだめなんだ。一度持たれた好意を僕は損ないたくない。だからそれで終わり。書き溜めていた文章をアップすることはあっても新たになんか書こうとすることはなかった。ちびちび、ちびちび文章を掲示板に貼って、ささやかな返答をもらう。たまにやたら深読みをして、僕の文章を絶賛してくれる人もいた。とってもうれしかった。僕ですら意識していない僕の無意識を、意識してくれているようで、ありがとう。


 そんなことを繰り返してた。

ポテトチップを食べながら。宇治抹茶ラテを飲みながら。今晩のおかずを探しながら。毎日毎日ぼくは楽しかった。我を忘れた人生の中で、初めて我に孵る日々を送っていた。

 なんだか長いね。昔話はだれるよね。自分は記憶があるからいいけどみんなはそんな記憶ないんだから。途方もない独りよがりだよね。

 まぁつまりネットに文章をあげていたら、僕の小説もどきが黒星さん以下関係者各位の目に留まったわけだ。ある日、PCにメールがきたよ。アドレスをどう知ったのかは知らないけど。「貴殿の文章を拝見しました。ぜひ一度お会いしたい」的な内容だった。正直ぽかんとしたかな。理解するまでに時間を要した。そして理解した後は決断に悩んだ。どうしたもんか。はてさて。ぐむむ。だって知らない人からのダイレクトメールだし、怪しさマックスだし。でも僕は結局受諾した。純粋にうれしかったから。騙されているかもしれないけど、それでも僕のささやかな能力を前提に、物事が進んでいるのが誇らしかった。それだけだ。エイミーも喜んでくれたし。

 ちなみにエイミーっていうのは人形だよ。僕が昔、彼女からもらった人形だ。僕にだって彼女はいたよ。いい子だったさ。いい子だったさ。

 エイミーはー、僕の部屋の同居人。僕の相談相手。話し相手。ちょっと恋しかけるくらいには好きだった。いい子だよ。でも黒星さん以下関係者各位の皆々様方のおかげでエイミーは僕の元を去った。正確に言えば、発狂した。月に照らされすぎた人みたいになったんだな。喧嘩することはあったから、話し合ってなんとか説得しようとしたけど、だめだった。僕以外の人間がいやだって言うんだ。うれしいことだけど、ヒステリックだよ。僕が決めた道なんだから、エイミーだってそれに理解ぐらい示してくれるべきだろう? なのにねェ。だから川にすてたんだ。その一点においてのみ僕は黒星さんたちを恨む。エイミー。君がいないのはかなしいよ。まるで月のお姫様を失った夜空の王のような気持ちだ。


 まぁそれはもうちょっと後のはなし。

 とにかく僕は黒星さんたちに会った。会ったのは埼玉県のちょっと古い街のちょっと古い喫茶店。個室に案内されたからきっと息がかかってるんだろうな。面子は黒星さんと以遠さんだった。むしろ僕はこの二人以外に会ったことがない。そのときも二人は今と同じような格好をしていた。以遠さんはたばこの香りのする燻製リクルートスーツを着ていたし、黒星さんは愛の無い着こなしをしていた。

「以遠だ」

「黒星な」

 と二人が挨拶をして僕も挨拶を返すと、すかさず以遠さんはたばこを内ポケットから取り出しそれを平ぺったい唇の端に咥える。それを見た黒星さんがうんざりしたような顔をして、無造作に安っぽいライターで火をつける。

「おい」

 と以遠さんが若干声を荒げた。

「私はターボライターで火をつけろといつも言っているじゃないか」

「いやなら自分でやってくださいよ」

おれはたばこなんて吸わないんですから、と彼はため息を吐く。

「オイルは葉っぱに匂いが付くから嫌いなんだよ」

 以遠さんは首を振り、唇の奥から煙を吐いた。たぶんこの人はたぶんフィルター越しからじゃないと酸素を取り込めない身体のつくりをしているんじゃないかな。

「きみもすうか」

 そう彼女にすすめられたが僕は丁重に断り、やんわりと本題に入ることを促す発言をした。

「おっとそうだったな。申し訳ない」隣で白い目で見ている黒星さんを尻目に彼女は、はは、と軽く笑い少し真剣な表情をする。

「君は小説を書きたいか?」

 僕は黙った。ある程度予想していた問いであったし、すぐに答えるのもなんだか気が引けたからだ。

「お前どう思ってるんだ?」

 黒星さんがやや身を乗り出して言う。初対面でお前だなんて言われたのは初めてだったし、なんだかこの人特有の言語の不自由さに僕は若干苛立ちを覚えた。

「小説は、」

 僕はやはりそこで詰まる。いかんともしがたい問題だ。本格的に書いてみたい気持ちはある。たぶんこの人たちは出版関係の人たちだろうし、僕が承諾すればすぐにでもいろいろな書類を用意して、僕に小説を書かせる環境を整えてくれるんだろう。それはすばらしいことだ。内に大きな高揚感が押し寄せてくるのを感じる。でも、でも。

「やめておきます」

 そう言うと、以遠さんは初めて意外そうな表情を顔に出した。黒星さんは人目を憚ることなく驚いた表情をしている。

「僕は小説を書きたいわけではないんです。それは僕が一番分かっています。物語を書けるほど僕は物事を知らないし、知りたくも無い。誰かに感動を伝える役目を僕が担えるとは思えないし、なによりそんなことには虫唾が走ります。そりゃ書くことは好きですから、小説を書きたくないと言ったら嘘になりますけど、それ以前に僕は僕を知らないんです。僕には長らく一貫性がなく、おそらく客観性も無い。さらに惜しむらくは主体性。苦楽を突き進む度胸も無い。信用が無いからお金を貸してもらえません。自分が見えないから他人もみえません。何もしないから自我がありません。でも、本当のことを言えば、何も求めていない。それでいいかなって思ってるんです。そう、俺がいいんだからみんなもそれでいいよね。

って。

 そんなことばかり考えてるんです」

僕はそこまでを一息に言ったあと、大きく息を吐いた。なるほど。こういう時に、確かにたばこは便利なのかもしれない。

「そうか」

以遠さんはやや俯き、うなるように声を出した。

「そうか。そうか、いやはや」ううむ、と以遠さんは唸っている。

 もうちょっとオブラートに包んだ断り方をしたほうがよかったかな、と少し後悔して、でも、と予定調和的な逆説を入れていったん場を落ち着かせようとした時、

「よし。じゃあ決定な」

 と黒星さんが言い放った。

 いったい何が決定したのか理解できない僕を余所に「そうだな……、そうだな!」と以遠さんも静かに納得し始めた。

「何が決定なんでしょう」僕は自分がなにか大切な取り決めに参加できていないような不安を覚え、思い切ってそう質問した。すると以遠さんが笑って答える。

「君の就職先だよ」


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