〈 ✍︎ 学び ~1~ 〉人の身体の日進月歩

セラピストを始めてから、きちんと人の身体の事を学ばなくてはという意識が高まりました。当たり前と言われるのは、重々承知です。一方で、日本では気軽にセラピストと自称出来ますから、そこに良い云々というよりも、いかなる経験深いリラクゼーションの方も、実績のある治療家でも、断続的な知識の習得や学ぶ姿勢というものを蔑ろにする事は、なるべく避けた方が良いのだろうと、現在自分が学んでいるツールを通して感じています。


始めた以上、積み重ねるしか方法はありませんし、私自身はリラクゼーションにおけるセラピストです。今のところ治療家になる予定も考えもありません。但し、優れた治療家の方の言葉には、数多くの簡潔な話や手法が散りばめられている様で、その中から、自分のトリートメントに取り入れつつ、活用出来たら良いなと考えています。


いずれにせよ、個人的には根本的な部分に寄り添えたら良いな、というイメージを常日頃から持ち合わせていますので、建築設計を始めるにも、まずは現場仕事から始めなければと考え、とりわけ日本の木造伝統建築の世界に魅了されていましたので、いわゆる昔ながらの丁稚の様な状態も経験してきました(これについては、その前後の病気の話も絡みますので多くは割愛します)。ですから、リラクゼーションとはいえ、もしも出来る事があるのならば、少しでもそうした人の身体の部分へもと努めています。ましてや、リラクには心の部分も同席していると考えていますから、心体の両方が一身建立していると捉えていまして、身体の事ばかりを考えていてもアンバランスなものだと思えます。そうした意味で、身体の治療とはまた一味違った世界なのだと位置付けています。ややもすると、曖昧さ、これが浮き立つ世界なのかもしれません。科学的根拠が不透明な場面も多いのかもしれません。一方で、向き合いご一緒させて頂くのは、同じ人間ですから、とても大切な気持ちで接するのも同じ心持ちでしょう。


さて、何を学んでいるのかと言いますと、基本的には筋膜を扱った治療方法です。身体全体を無縫製で包むが如くのその存在は、昔初めて知った時はよどみなく繋がる全体の要に思えました。ヨガでも10年ぐらい前からしばしば登場する言葉で、筋膜リリースというのはいまや一般的に日常にも溶け込んでいるのではないでしょうか。テニスボールを使ったり、いぼいぼローラーみたいのがハンズとかホームセンターでも販売されているようですし。この手法は、普段の Seui のトリートメントとも親和性が高く、所属サロンのスタイルの中でも同様で、とても重宝しています。と申しましても、必要以上に多くを用いるわけではなく、人の身体にとって、リラクゼーション的トリートメントにおいて、これは根っ子の部分ですよね、というごく限られたいくつかを初動として活用させて頂いています。


そしてつい先日知ったのは、その筋膜リリース以前に整えておくべき準備が、最近は新たに注目されているという事実です。その話を取り急ぎ拝聴しましたら、凄いなぁ、と思い、自分の体で試せる部分を試してみました。結果、また凄いなぁ、と思いました。より安定感が増し、根源性が高まるのだと学びました。しかも治療家の手技ではありますけれど、大した事をするわけでもないものですから(ん?何ですかそれ?的な)、リラクゼーションに訪れる方々に対しては、微塵の不安も無く用いられるものなので、ひどく有難いものでした。まだまだその一角を学んだのみですけれど、今後も一つづつ積み重ねてゆきますので、改めて丁寧な気持ちで質を高めつつ触れさせて頂けるのが良かったです。


そんなわけで、ヨガを通してさんざん痛感して参りました人の身体の未知性めいたものを、今回はこちらの場面でも痛感いたしました。伝統的文化的建築の世界においても、常に新しい技術を必要に応じて需要しつつ、継承しつつ、守っている姿を知っています。そんなあり方にも通じるものもあるなと感じました。そんなお話でした。


恙無い心と、恙無い体を、自分自身、大事にしてゆけたらと。


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