〈 ✍︎ 学び 〉 一日早ければ

サロンの待ち時間で大学の授業を受けていまして、今日学んだのは腱鞘炎に対するセルフケアを提案するまでの一連の施術からの流れでした。


悔しい気持ちになりました。


昨日の練習会でペアを組んだセラピ様が、それでご苦労されている話を聞いたばかりでしたので。腕周り肩周り首周り進むといつものにこやかで明るい表情からは想像出来ない疲労が溜まっていて、苦しさすら感じました。しのごの言わずに精神力で動かしているのではないかとすら思えました。私の少ない経験からでも一発でどうのこうのという状態では無く、せめて合わせ技的に一助になれれば少し扉が見えるのではないかと思いましたが、無念でした。


そんな翌日の出来事でしたので、あと一日早ければ、もう少し根っ子に寄り添えたのではないかと。実はこうした経験は、サロンでも時々あります。待ち時間に講義を受ける時もありますので、さっきの施術の前であればすぐに応用出来たのに、というような場面です。


誤解があると不本意ですので一応。治してあげたい、といった感情ではないのです。万一私がそれを抱いたならば、それは良い意味とは反意の無責任なエゴでしょう。私が感じている(というか湧き出る)それは、慈しみです。昨日の練習でもつとに感じて、お伝えもしてしまいました。


心掛けているのは、「気持ち良い」の連続。それがタオルの肌触りでも、ゆらゆらの振れ幅でも、ルームの雰囲気でも、何でも良くて、そこには執着してゆきたいと考えています。「これ気持ち良い」「あれ気持ち良い」「それ気持ち良い」「良く分からないけど何だか気持ち良い」そんな風にして気持ち良いが積層すれば、とても心地良い、そうした時間をご一緒出来るのではないかと思うのです。ですから、例えば慢性的な辛さを緩和する何かもその一つだと考えていまして、自分の間の悪さが、一つの気持ち良いロスに繋がってしまったのだと思えて、悔しかったのです。


急ぐことは、これ以上は悪循環に成り得るのでなかなか難しいのですけれど、早くこうした場面に出くわす自分が少なくなれば良いなと、襟を正され反省のある昼下がりでした。そんなお話でした。


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