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マリア様はご機嫌ナナメ 29 四人組、アメリカへ行く

 オールナイトの月曜日は四人組、しのぶさん、麗子さん、マリアと僕。仲良く遊びののような番組を続けてた。

 またあの浅田さが僕に話けて来た。
「進堂君」
あれ、進堂ちゃんじゃないの?
「今度、アメリカへ出張に行ってもらいたいんだ」

 それは、局の将来を見据えて、アメリカのラジオ、テレビなどの訪問。それも歳をとった人間が行くんでなく、若い人の感性で見たきて欲しいとの意向だった。

真顔の浅田さんって珍しいな。でもメンバーを聞いて、大丈夫かなと思った。いつもの四人組だ。しのぶさんと麗子さんは海外旅行の経験があるが、僕とマリアは箱根から東へ来たのも僕の大学入学が初めてだった。

 それも日程がハードスケジュールで火曜日の深夜の放送を終えたら、成田を出発して現地で四泊して日曜の便で日本へ戻る。時差の関係で翌日の月曜日の夕方に成田へ着く。

 サンフランシスコとロスアンジェルスの現地のラジオ局を訪問して、アメリカのラジオ局の現在を取材するのだ。その間にジャズのライブを見に行って、しのぶさんとマリアの今後の番組作りの参考にする。
 当時のアメリカ西海岸はイーグルスに代表される「ウエスト・コースト・ミュージック」の本場だ。やはり興奮するな。
 僕たち四人組を乗せたユナイテッド航空サンフランシスコ行きは予定通り成田をで出た。今では当たり前の日本語を話せる乗務員は乗っていない。機内の説明の何もかも英語だ。座席は勿論エコノミーだった。ジャンボゲットの後方の席に座った四人は着席した。女三人はキャーキャー言って騒いでる。どうもテンションが高いな。
 僕なんか初めての飛行機なのでシートベルトをしっかり締めて、両手でしっかりひじ掛けを握っていた。マリアはあっけらかんとしたものだ。僕と同じ初めての飛行機なのに落ち着いてる。
 夕方の六時の成田を出発して、現地、サンフランシスコの朝十時に到着した。朝と言っても、日本時間では深夜の三時だ。眠たい目をこすり四人はサンフランシスコの土を踏んだ。バスでホテルまで移動した。マーケットストリートのバス停で降りた僕たちは早速困った。ホテルの場所が分からない。
 「ここは一つ早稲田の進堂さんにお願い」
麗子さんがいたずらっぽく言った。
しかし、僕の英語は全く通じなかった。
ここでマリアが登場した、
「ツーブロック・スレート、ターンレフトね」
 これが奇跡的の通じた。中学高校と六年も勉強したのに、日本の英語教育はどうなってるんだ。自分の未熟さを文部省のせいに僕はしてる。
 しのぶさんも麗子さんも海外に行ったことはあるが添乗員のついた旅行で自力で英語を話した訳ではない。こうなったらマリア様だよりだ。
 ホテルにチェックインした。僕は早速訪問予定のサンフランシスコのラジオ局に電話をした。これも、全く通じなかった。マリアは受話器を僕からひったくり、
「ツモローナインオクロック。ユウカムアワーホテル」
何と通じている。

 ホテルの部屋は二部屋でそれぞれツインベッドがあった。僕とマリア、しのぶさんと麗子さん。でも結局、僕とマリアの部屋が四人のたまり場になった。部屋は驚くほど広かった。ベッドのほかに応接セットと簡単な食事テーブルがある。食器や電子レンジも備え付けだ。
 日本で同じくらいの料金だったらビジネスホテルのシングルにも泊まれない。アメリカの底力を思い知った。
 僕は明日から始まる現地ラジオ局との打合せ内容を見直している。キッチンテーブルでレポート用紙に出発前に準備した内容に目を通してるのに、三人は応接セットでペチャクチャ喋っている。全く、何を話しているのか、話すネタが尽きないもんだ。
 翌朝九時に予定通り迎えの車が来た。
僕は糞まじめにに現地スタッフに質問しているそばで、三人はスタジオやギャラリーを見て回っている。
 今日の三人のファッションは、しのぶさんはシックなスーツ姿。麗子さんはタンクトップにホットパンツ、マリアは空港で買った白い生地でカルフォルニア州の熊の絵の入ったシャツに黒のジーパンだ。これが結構きまっている。
 時差ぼけの僕をよそ眼に三人は元気だった。翌日はサンフランシスコのダウンタウンのジャズバーを見に行って、翌日にロスアンジェルスへ移動した。隣町くらいに思っていたが、八百キロも離れてる。だから当然、飛行機で移動だ。荷物で膨れあがったダッフルバッグを肩に掛けて空港へ行った。最も僕のバッグにはマリアの荷物も入っている。

 ロスアンジェルスに降り立った。サンフランシスコとは気候が違う。服装は麗子さんが正解だった。マリアはここで黒のキャミソールを買って着ている。やせ型の彼女には似合っている。マリブの海岸で女三人は騒いでる。
 「お~いマリア。あんまり燥いで溺れんなよ!」
僕はあの夏の日を思い出した。

 日程を終了した僕たちは成田に帰ってきた。社用車が迎えに着ていた。浅田さんの配慮に涙がでた。黒塗りのセダンでボンネット左前に社の旗がなびいている。
 「わ~こんなのに乗ってみたかったの」
相変わらずマリアは燥いでいる。
その日の放送を終えて、僕は麗子さんを送って行き、マリアと二人でアパートに帰った。

 僕のまとめた視察旅行のレポートは好評だった。
・アメリカのラジオ局の現状
・アメリカのラジオ局の将来
・衛星放送が発達していること
・通信販売が定着していること

 これらはその後、局と系列テレビ局の新規ビジネスに結びついていく。

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