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みんな今どうしてますか?

しばしばシにたいと言ってた同級生たち、今はどうしてますか。
その思いを開示する同い年の人が高校生から大学生の頃までは
1学年につき1人ぐらい現れ、私の隣で、訴えるでもなく
呟くでもなく、開示してたなぁ、と。
当時の私は18歳とかで、悩みとかなくて、学校の課題をこなすことに必死
自分が体感中の「生」しか見えていなかったので
「死」があまりよくわかっていなかった。
その頃祖父は既に亡くなっており、間近で死は見てる経験はしていたものの
自分に引き寄せて考えることがまだ出来なかった。だから
死を口にする同級生が大人っぽいというか、深淵な思考の持ち主のように見えた。
私には想像もできないほどの悩みがあるんだろうなぁと。
同級生からは手応えのないヤツだと私は思われてただろう。

で、どうですか?当時シを口にしていた同級生。
50を過ぎて今はどう感じていますか?
本当にシんでしまった人もいるんだろうか?
今ほどメンタル面での情報もなくて、本人もどうしたものかと思っていただろうし
打ち明けられた私もどうしたものか、と思っていたよ。
それがその子にとってどのぐらいの重さの言葉であったのか、今でもよくわからない。

学校を出たらいきなり外海を泳いで渡るみたいな感じになって
すぐに子どもを産んで日々の暮らしに追われた人も多かっただろうし
でもなんとか50まで生きてきた今
疲れやすくなり、遅くまで起きていられなくなり、早くに目が覚めるし
老眼が進んで、見えにくいとやる気まで削がれていくし
30歳からこっち、毎日が光の速さで過ぎていくよね。
50以降は死が以前よりリアルで、まさに死に向かって進んでいるんだな、と感じるよね。
私は親が長生きしなかったので自分もそんなに長生きしないだろうなと思ってる。
毎日が貴重で、無駄にしてはいけないと思いつつ
気絶するように寝てしまうこともしばしば。
私自身、シにたいと言うか、消えたいと思うことも30歳以降は思うことが多々あったよ。
あ〜こういう感覚だったんだなぁ、と思う。
人に開示してしまうあたり、私よりもっと深刻だったのかも知れないなぁ。
私、鈍感だったなぁ。
せっかく私を選んで開示してくれただろうに暖簾に腕押し感あっただろうな、ごめんね。
18とかでこれを感じていたあなたは早くから感性が鋭敏だったんだと思うよ。
私はやっぱりいまだに何もできてなくて、「慶ごと」は何もないし、病気だし
でも、お恥ずかしながらでも、生きてて良かったな、とは思う。

みんな、今どうしてる?
自分なりに元気を出す方法をあみ出せたかい?
私はね、掃除、特に水回りを掃除しまくって、拭き掃除をして
食べてから寝る方法で乗り越えてるよ。
あとは散歩とか植物を世話するとか、自然に触れる。
そしていまだに、達成したいこと・目標があるのでそれに向かっているよ。
あの頃のシを開示してた同級生。
無事にオバちゃんになってるかな。
お恥ずかしながらもオバちゃんしております〜、とか言い合いたい。

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