無意識の魅力に淘汰されていることになんで気付かなかったの


そもそもさ、わたしがわたしの意識で
この方がよいだろうからこうしようって
思ってすることなんかは
別にそんなに何かを大きく変えたり
ひとの心を動かしたりすることには
ならないだよなと、最近。

だれかのために発することばや行動で
ひとを喜ばせたり救いになることとか
そういうのはあるね、それも大切。

だけど、
このひとにとってのかわいいでいたい、
このひとの心にこっちをみてほしいとか、

そーゆーのは実はほんものはほんとうは

意識とは別のところで動いていて
通じ合ってしまうのかも。


自分のことばをチョイスして
自分の行動をコントロールして
相手をコントロールできるなんて
たのしいのは一瞬だし
それこそ
自分のほんとうの心が擦れていくはずだね。


なので、
思い通りにならなければならないほど、
研ぎすまないといけない。

その度におもいます、
あー、なにを簡単に手に入れようとしたんやろう
楽してなにがほしかったんやろう…
って。

だってそんなんありえないし
いつだって
簡単にあなたとわたしが分かり合えるわけないよね?

なので、
たくさんの工夫や思いやりや
あきらめやねばり強さを
心に持って毎日想うんですよね。

それしか大事じゃない。

計算していた世界はすべてこわれてなくなっていったし。

これからもたぶんそうねー

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