「件の不適切発言」について一考〔フォーカス【現象の考察】12〕
「彼の発言」に対する、僕の印象や評価自体は世間一般のそれと変わらない。
様々な人たちが、既に散々語ってらっしゃるので、いまさら僕が触れる必要はないだろう。
ただ、"それとは別にフォーカスすべき"考えた点が二つ。
①"彼"は例の発言をする前、「不適切な言い回しで、不愉快な思いをされた方がいたら申し訳ないんですが」と前置きをしていたこと。
つまり、"彼"は例の発言をする時点で「自分の発言は、もしかしたら他人に不快感を与えるかもしれない」と了知していたのだ。
それにもかかわらず、口から出てしまったのは「そうだとしても、俺のナイスユーモアの方が上回る」と考えてしまったゆえのことであろう。
そして、もう一つ。
②"彼"は十中八九、去年の「メダルかじり事件」を目の当たりにしているであろうこと。
(もちろん、調べようがないので「多分」の域を出ない。ずっと海外にいて、オリンピック関連の情報を一切関知しなかった可能性もゼロではないだろうが、このご時世にそれは考えづらいだろう。なので、「知っている」前提で話を進める。もし、万一知らなかったとしたら「種々のセクハラ事件」に置き換える)。
"若い女性選手のメダルをかじったあの人"も、「俺のナイスお茶目は面白いはずなので多少のことは許される」と勘違いした。その結果の"大炎上"である。
このとき"彼"はこの醜態を目の当たりにしながら"他人事"と捉えていたのであろう。世間のそれと同じく「最低なことをするな」とでも思っていたのだろうか。
まさか自分が、数ヶ月後に「"同性質のたった一つの発言"をして、それまで築き上げた地位・信用を一気に失うことになる」とは夢にも思っていなかったであろう。
なにが言いたいかというと、今現在「彼の不適切発言」を目の当たりにしながら「他人事」と捉えている人。その何人かは数ヶ月後、あるいは数年後、「第二、第三の彼」になってしまうのではないか、ということだ。
「彼の不適切発言」を"他人事と捉える心情"、それは「メダルかじり事件」のときの"彼の心情"とイコールだからだ。
もちろん、"彼"への非難は当然である。
しかし、"その後は"自分事と捉え、「自分もやってしまうかもしれないな。今後の言動は吟味せねば」と考えるべきなのだ。
そうでなければ、以前の"彼"と同じく「自分の言動は、○○(自分勝手な理由)なので大丈夫」と捉えていることになり、非常に危険である。
かの孔子は「過ちを改めざる、これを過ちという」といった。
この言葉は、
「過ちに倣わざる、これを過ちという」
をも含むように思う。
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