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#5右足複雑骨折による3ヶ月入院日記二日目その②

二回目の全身麻酔での手術直後はまだ麻酔が効いていて、自分の足が自分の足ではないような感覚だった。
自分の足を思うように持ち上げられなくて、自分の足にまるでダンベルが乗っかっているかのように重かった。
麻酔が効いていたので痛みはなかったけれど、右足がとにかく重くて、寝返りを自由に打つことが全くできなかった。

それでも、手術が無事に終わったと聞き、とりあえずの安堵感を味わっていた。
しかし、ホッとしたのも束の間。
そんな私にさらなる試練が襲いかかってきた。

その試練とは、手術が終わった後に、先生から説明を受けていた旦那さんから聞かされた「入院期間は3ヶ月」という耳を疑う言葉だった。
旦那さんもかなり伝えづらかったのか、伝える時の旦那さんの顔が引きつっていたのを今でも覚えている。
しかも、それだけでない。
泣き面に蜂とはこのこと。
「ここの病棟は小学生以下は面会できないため、入院期間の3ヶ月は子ども達に全く面会できない」という、到底受け入れられない現実だった…。
後から聞いた話だが、旦那さんは本当は「入院期間は3ヶ月〜4ヶ月」と医師からは聞いていたようだ。でも、4ヶ月と言うと私があまりにもショックを受けるかと思って伝えられずに、とりあえず3ヶ月と言ったようだ。

私は先述した通り、当初は酷い骨折だとは自分では全く思っておらず、2週間ほどの入院くらいで、それからはギブスをはめて家に帰れるものとその程度の骨折なのだと思い込んでいた。
それが、告げられた現実はその何倍もの「3ヶ月」という入院期間。
しかも、子ども達とは会えない…と。
全く想像も出来ないことだった。
昨日まで毎日子ども達と当たり前のように横に並んで寝ていた私。
静かな時間はどこを探しても見つからないような子ども達3人との騒がしくて慌ただしいあの毎日はどこへ…。
今日からは本当は帰省のために遠出して、ついでに実家から少し足を伸ばしてホテルにも宿泊して観光もして、子ども達との楽しい冬休みが始まる予定だった。
それが、冬休みどころか、3学期丸々の期間を子ども達と会えずにこれから離れて過ごすことになるなんて。

その日の夜に、病室のベッドから、救急車で運ばれて以来、初めて子ども達と電話をすることができた。
一日半ぶりに子ども達と会話をした。
たった一日半とは思えないくらいに、既にすごく長い時間が経っているように私には感じられた。
20分間、いろいろ話した。
これから3ヶ月間、ママは入院すること。
3ヶ月の間は子ども達と会えないこと。
長男には学校が始まったら、学校の様子を教えてねと。
ママは見れないけれど、毎日のお勉強をしっかりするんだよと。
次男にはしっかり宿題をして運動もして、楽しい動画をママに送ってねと。
娘には、ママにお手紙書いてね。絵も書いてねと。
そして、3人ともに大好きだよと何回も伝えた。
伝えながら何度も涙があふれた。
娘が電話口で「ママのこと、大好きだよ。ママのことずっとずっとずっとずっと大好きだよ」と言ってくれて、娘に会いたいなと言う気持ちが爆発して、涙を流さずには聞いていられなかった。
そして、電話を切った後にとてつもなく寂しい気持ちになり、本当にここから3ヶ月の入院期間を私は乗り越えていけるのだろうか、なんでこんなことになってしまったんだろうか、私の何がいけなかったんだろうか、ちょっとした不注意がなんでこんな大怪我になってしまったんだろうか、なんて自分は不運なんだろうか、時間をあの時まで巻き戻すことができたらどんなに幸せだろうか…などと頭の中でぐるぐるぐるぐると考えが巡っていた。

二日目その③につづく。


現在は退院して、リハビリに通いながら、日常生活を目指して筋力アップに日々取り組んでいます。
あと一年はかかると言われていますが、趣味だった子ども達との山登りも再開したい!
この日記は、実際に3ヶ月の入院期間中に毎日その日に私が記していた日記を退院後に少し加筆して、まとめたものです。

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