成人2022
今日は駅まで歩くと
スーツや和装の新成人が沢山いた。
出勤の通り道にある成人式会場の、周りの広場や空間が、ロープで閉鎖されているのを初めて見た。
なんでや?
新成人がたむろしないように閉鎖していると、立ち入り禁止の下に書いてる。
行政は警戒しているようだ。
それ以上に驚いたのは、立ち入り禁止とはされていない、会場の出入口前に父兄がたむろしていた事だ。
お母さん達が、沢山いた。
1人きりのお母さんや3人グループのお母さんや、色々である。
これは成人式ではないのか?
まだ成人にはなっていないのか?
皮肉めいた笑いがマスクの中で漏れる。
なんでやねん〜成人ちゃうんかいな。
親が、会場から出てくる成人を、出待ちしているのが可笑しくて、マスクで隠せない目までニヤニヤしながら駅に向かった。
私たちには、自分の人生に、自分が責任を取りたいという衝動が誰しもあると思う。
それを、自分(親)のこととしないで
是非、我が子にも認めてあげて欲しい。
私たちは、自分の人生に責任を取りたいんだ。
自分もそうなんだから、子供だってめちゃくちゃそうだ。成長とはそういうことだろう。
もー責任をとりたくてとりたくて、しょうがないのが、成人としてやっと一人前として解放されてバンザイ!なのではないかと思うんだけど・・・。
どうして私たちは、自分の思考を信じながらも、同時に信じられない、ということが起こるのか。
どうして、これは間違っている、と分かっていながら、それをとにかく言わずにはいられない、というようなことが起こるのか。
奇妙な力が内側から湧いてくるんだ。
間違いなく自分がしているんだけれども
そうしながらも、間違いをおこしたような、失敗したような気になっているんだ。
この奇妙な力とは、条件付けだ。
社会からの、環境からの
小さいころからの見聞きしたことからの
感じたことからの。
条件で判断して、自分の感覚は後回しにしてしまう。
夫も子供も同僚も友人も
条件にあてはめて、期待して
そして、だから、信用できない。
その通りでなければなんだかおかしいと思ってしまう。
ああ、それもこれも
深い理解へのステップだから
自分の本質を見つけることへとつづく道の途中。周りの人は全員がその演出を助けてくれている。
自分の価値があるのか、ないのか
愛されているのか、いないのか
世界は優しいのか、厳しいのか
そんなことを判断する条件付けから、抜けて
もっと豊かで美しい人生を眺めたい。
今日は快晴であたたかい。
年が明けてから、毎日
本当に気持ちがいいなあ。
夜の散歩
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