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福音

ちいさな頃、姉たちと並んで寝ていた。
川の字で並んで5人寝るんだ。

小学校に上がると4人になり3人になり

中学生になる頃にはその6畳間で寝るのは1人になった。私は末っ子だ。

小さな頃、ひとりで時間を潰すのは難しかった。
現代ほどに社会は子供に甘くなかったから。
うちは裕福でもないし。
ゲームもマンガも豊富じゃない。

ボードゲームもカードゲームも、ボールでだって、遊んでくれる相手が必要だった。

人見知りの末っ子にとって
正月は楽しみ過ぎる。
みんな家に居るし
にぎやかだ。

年末年始は夜更かしせねばならない。
意地でも起きていたかった。
学校も大人の仕事だって休みなので、早く寝なさいと言われないのだ。

せっかくの深夜放送解禁日である。
(子供はイレブンPMが始まるとまず消灯においやられた)

昔は深夜放送もなかったけれど、年末年始は遅くまで番組があったんだ。

きょうだいで、さだまさしの年越しコンサートを何時まで起きて見ていられるかと競ったけど、最後までコンサートを見終わった事はない。

正月の頃になると
寒いだろうということと
食べて寝て遊ぶだけという(自堕落に過ごす)ことでか
母親は、6畳間に布団を敷き詰めて、その上にコタツを置いた。

子供部屋で、ずっとゴロゴロとコタツに入って過ごすことになる。(父親もいて来客もあり、煩い子供はていよく追い払われたのか)

それがまた温かくて楽チンで、冬ごもり感満載となった。
ご飯も子供部屋で食べる事になり、眠くなればコタツでフカフカと眠った。正月は特別だったんだ。

1980年代のそんな記憶があるので

2000年になって私が子育てしていた頃の一戸建てでは、子供も私達も二階の寝室が別で、ベッドだったのだけど

離婚してから、ひとつの和室に子供と並んで布団を敷いて寝ることになった。

冬に、二人の娘が熱を出した。
特別やよ
と私はもったいぶって、居間のコタツに布団を寄せた。

寝るのとテレビを見るのとコタツの合体だ。

私の好みで寝室は何も置かず、布団を上げると何もない空間だった。
そこで寝ているのも寂しいではないか。

冬の発熱の特別感に親の私がワクワクした。

学校も休むことだし今夜はここでみんなで寝よう、さあコタツでミカン食べよう、と私が一番ウキウキしていた。

昨日、元旦の夜に
大人になった二人の娘が帰ってきて、三人顔を合わすのはいつぶりか。

私が長女の部屋をダイニングに改装しちゃったので、元旦の夜は私はリビングに布団を敷いて寝た。

リビングの左右の和室にはそれぞれ娘がひとりずつ、布団を敷いて寝た。
部屋は違うけれど、壁を抜いたら川の字で並んでいることになった。

普段はひとり暮らしを大いに満喫している私だけれど
家族っていいなあと思った。

翌朝、日光を浴びながらリビングで布団にくるまってる時間を楽しんでから、いよいよ陽も昇り、ランニングにでた。

正月二日の朝は、ことのほか日射しが透明でスターダストのように池に差し込むので、知らず足が止まり、柵に手をおいてボンヤリ池の水面の鳥を眺めてしまった。

雲の陰りもなく斜め45度に眩しく輝く太陽を直視する。ああ、丸いなあとおもう。

公園は年末にすっかり草が刈られて、歩道の落ち葉も掃かれて、さも、新年よどうぞ!!と云わんばかり。

葉の落ちた枝が空に伸びて、こっちもこっちもと日射しをねだっている。

景色に包まれるのが気持ちよすぎて私の頭の中ではセロトニンが福音をリンゴーン♪リンゴーンと鳴らす。

家に帰って沸かしていたお風呂に浸かると、娘がギターを掻き鳴らして歌っている。
もうひとりは布団にくるまってスマホをいじっているんだ。

三人三様
好きなことをしている。

その事に大きく満足して、またセロトニンが福音を鳴らす。

夜には、慶事があって別れた元旦那の実家へ娘たちが行ったので、写真で様子をLINEしてくれた。
義父も年をとった。
元旦那も髪が薄いし腹がでとる(笑)

父親や祖父が怖くて苦手と常に言っていた次女が帰りに電話をくれて、「なんともなかった」「自分がパパを美化しすぎていた」と言った。

思慕が受け入れられない記憶だけが巨大化して、拒絶が怖かったのだ。

ただのオッサンだった、と彼女の認識が塗り替えられたよう。

「電車来たからまたね」とすぐに電話は切れたけれど

私はそのあと浸かった湯船の中で、あー、満足すぎてもう死んでもいいなあと思った。

正月から福音が鳴り響く。
ほんとうに救われるおもいだ。

二日の午後。
もう陽は右手におちつつある

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