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8月8日

大阪市内から原付バイクで南方へと帰る。
バイクに乗るのは月に一回もないから
背筋も伸びるし運転に集中する。

目の前に続く、広い道路
左右には工場、商業施設
灰色に占められた視界から
4、50分も走ると
アスファルトに東からの強い日差しを遮る影が揺らめきだす。

涼しげな影に心が落ち着くのを感じる。

大きな木々がどんどん近づく。

道路を走る灰色の視界へ、緑色が占められてくる。 

公園と同じようにそこらじゅう植樹された、人工的に作られた街。

帰って
植木鉢に水やりして
ついでにベランダにも水をやり
洗濯して衣類も水を吸わせて
シャワーを浴びて私にも水をやる。

北向きの部屋で風を浴びながら目の前の木々を眺めてボーッとする。

住居の北と南が公園のような森なので、アスファルト放射熱も室外機の熱風も届かない。

風が抜ける。蝉のこえ。

休日はものすごくよく寝る。
ひとりでいる。
寝て、ボーッとしてたら休日は終わる。

人間の五感はえらい。
見ながら
聞けるし
匂ったり
味わったり
肌への感覚も、同時にわかるのだ。

日頃はどれかひとつに集中しているみたいだけど、実は全部いっぺんに感じる事ができる。びっくりする。

感覚を取捨選択して
わざと、シャットアウトしてるだけ。

ホントは全部感じてる。
そんなだから、疲れるんだ。

「なにもなくてもとりあえずテレビをつける」
という事を止めて

人工的な刺激を取捨選択するようになって
私はマトモになりつつある。

自分の感覚が分かるようになってきた。

感覚を意識できるようになって
私は元気になった。

それから
買い物が減ったし
出かけることもなくなり
遊ばなくなった。

仕事だけで十分。
あとは休息。

仕事と休息の間の刺激が要らなくなった。
ずっと感覚を麻痺させておくための刺激が必要ではなくなったんだ。

これは、あれだ
仕事を受け入れつつあるんでないかなと思う。

この仕事が自分のペストな選択なのか?
という疑問が薄れつつある。



私がいま気に入っている美容師さんは、30代手前の若いお姉さんだ。
あの人は「お金の無い世界」でも美容師をしているに違いない。

お金の無い世界とは
お金という報酬が存在しなくて
ただ、自分のやりたいことをするだけで
一人一人が役割を果たして循環する世界だ。

この世界から
パッと
お金だけが消えた世界。

お金が消えても、生活を続ければそのまま生きられる。
お金とは、人間が作り出した概念だから。

お金で回っている世界の仕事は
報酬は勿論
認められることや、負かすことや
体面を保つことが大きな原動力になっているけれど

私はそういう刺激に弱い。

「他者評価を気にしている雰囲気」に昔から弱い。

テレビでの食レポは見てられない。
軽い情報番組やバラエティー番組が苦手だし
ともすればドラマにも大層疲れてしまう。

演技を感じさせない自然さや
よっぽど上手い編集があれば、見るに耐える。



自分がやることに対して
もはや
「評価を二の次にするしかない」ような

わたしはこれをやるしかないから

と、腹をくくっている人

お金が無い世界でも
きっとこれをしてるんだろうなあ~
と思える人からは
刺激がない。

私のほうへ向けられる意識のベクトルが
「その人基準のもの」だからだ。

私の勤める事務所の代表がそうだ。
お金の無い世界でも、1人ででも
今の仕事をしているに違いない。

同じく
私の行くお医者さんや接骨院もそうだし
野菜を作って届けてくれる人もそうだと思う。

ほかに
報酬や外部評価と関係なく
同じような事をしているだろう顔が思い浮かぶ。

良いとか上手いとか

それ以前に
仕事の提供者の「スタンス」が
受ける側の感覚に影響するんだ。


私はなんか適当な店員さんとか全然ダメで(笑)
それで私は
自分が明るくにこやかにするしかない。そうやってエネルギーをチマチマ使うんだ。

もらった刺激には
自分からも刺激をお返ししてしまうものだ。

私が日常で、嫌々仕事していたり
自分の仕事に納得してなかったり
勝ち負けに必死になったり
どう見られているか気にしていたり
お金のためだなんて思っていると

その強い刺激に対して
さらに刺激で迎えうたなくてはならない
みたいになる。

お金つかったり、食べたり、遊んだりして。
ときには怒ったり啼いたり、悩んだりして。

エネルギーにはエネルギーで迎え撃ち
それで緩和するような、錯覚に陥る。

けれど欠乏は癒えず
麻痺するまで刺激を入れて生活を続けることになると思う。


夏の強い日差しを眺めていても、青空や緑が目に優しく、体感的には涼しいこの環境が、私には必要で

ボーッとひとりで日がくれるまで
今日が終わるまで
ただ、自分の時間をとることが必要で

刺激に迎えうたずに
ただ流し去ることで

なんとなく
自分の仕事に、納得しつつあるのを感じる。

それは、仕事がどうというよりも
私が少しずつ
外部の評価や人の目を気にしないで仕事をするようになってきたからのようだ。

お金だけが
パッと消えた世界で
いまのまま、このまま生活する
そう思えたとき
ひとは幸せを生きているのかなあ


夜勤明けで一気に書いたので
ご飯食べて寝ようと思います

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