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ヘルシェイク矢野

2018年2月19日

ヘルシェイク矢野とは?

僕はかれこれ半日かけて仕事中も食事中も考えている。走り書きのメモから書いているし、全くの妄想である。

AC部の3分間劇中劇を見せられ、それがまた3重構造のメタ認知という高度な次元処理を行っている。
ゲームの中のゲームのゲームを見ているような感覚だ。一番外側の構造に僕らが見ているモニタがあり、その中のアニメの主人公の回想の中のヘルシェイク矢野を見る。
第一構造:モニタ
第二構造:ポプ子、ピピ美
第三構造:ヘルシェイク矢野
という入れ子状態の中の中の中の話である。曼荼羅構造でありこれはフラクタルとも考えられる。

これは僕も盲点だったがAC部というレイヤーが有るため3重ではなく4重の構造である。しかもそれは人間がやっていることが更に芸術性を高めている。
第一構造:モニタ
第二構造:ポプ子
第三構造:AC部
第四構造:ヘルシェイク矢野
そして現実と虚構を行ったり来たりする。そのゆらぎで人を引きつける芸術的構造を見せている。一種の瞑想に近しい精神状態に私はなる。

見ている自分(現実)→アニメ(虚構)→AC部紙芝居(現実)→ヘルシェイク矢野(虚構)という構造になっている。

かつて、1980年代のニューヨークで台頭したシミュレーショニズムの精神的支柱とされた、ポストモダンの思想家ジャン・ボードリヤールは「シミュラークルとシミュレーション」にてオリジナルとコピーの区別が消失し、コピーが大量に消費される現代社会の様相がある。 そして、簡単にコピーができる虚しさや寂しさを表現している。

しかし、どうだろうか?僕らはこのヘルシェイク矢野という情報を積極的に消費している。
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1519030130

これはシミュラークルとシミュレーションの虚無性を真っ向から否定するあらたな現象である。
ヘルシェイク矢野という現象は今後の認知学、芸術分野、思想へと新たなる架け橋になるイニシエーションと僕は個人的に考えている。

説明できない神という概念を共有化するのに似たものが「ヘルシェイク矢野」そしてサタニズムの自己矛盾にも少々近いとも思っている。

自らの内に全てを見、
全ての内に自らを見る者が、
ブラフマンに至る、
それ以外に道はない

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