リハビリ鼻毛

しばらく、文章らしい文章は書いていないので思ったまま書いていきます。
最近鼻毛を抜くという行為がもっとも人間らしいというか、社会性を持った行為という感覚をもっている昨今です。
なぜ???と思われることが多いと思いますが説明させていたただきます。

鼻毛を刈るでも切るでもなく自力の”抜く”とても人間的ではないですか?
痛みを伴い社会性を保持する、自己犠牲とも言い難く、自己研鑽たる高尚なものとも言い難い。合理性からもかけ離れ、趣味性にするには慈しみさえ覚えるこんなどうでもいいことを書くために私はマックブックを買ったのか!
?ワァ!””””(ちいかわ)と思うほどでございましてよ

文章とは不思議なものでかれこれ4年以上ほど公開はしないまでも日記的なものを手書きで書いております。そこには何かの買い物のメモや、いろんなことが明記、列記、図式されておりますが別になんとも思いません。

このノートに書く際はただの落書き程度か、タイピング能力程度にしか思っておりません。実際このノートを書き始めてからはミス龍飛もだいぶ減りました岬です。

ああそうそうそう鼻毛の話でしたね、抜けば痛しが、抜かねばならぬ。
と思い抜いてる時の滑稽さといったらわけなく苦しい。誰がための魂か?と己の自己同一性を疑うほどにくるしゅうないわけですよ。

つかれた。以上

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